なる子とマーナル☆

少女の心を忘れない、なる子とマーナル☆によるアート・旅行・キッズ応援ブログ

保育士は一般の人が想像できないレベルで安心・安全を提供している

大津の園児を巻き込む交通事故。どうしてこんな非情な事故が起こるのか。こんな不運があっていいのか。子どもの為に一所懸命働いているお母さんお父さんから、一番大事なものを奪っていいのか。毎日、愛と正義で子どもたちを守っている保育園がこんなに報われないことがあるのか。

 

子育て支援の場から離れてから1ヶ月経ちますが、自分が先生たちの立場だったらと思うと悲痛な気持ちになります。こんな事故は辛すぎます。

 

見るのは辛かったけれど、ネットで話題になっていたので、保育園の記者会見の動画も見ました。園長先生の泣き崩れる様子…。

 

きっと園長先生だけでなく、保育士さん全員泣いていると思います。愛情込めて育てているのです。親じゃないけれど、保護者と一緒に育てている気持ちなのです。大事なものを失った悲しみ、憤り、預かっていた大切な命を守れなかった悔しさと申し訳なさ。

 

 

ネットではストリートビューに偶然写っていた保育園の子どもたちの様子も話題になっていました。信号待ちをする子どもたちと保育士さん。道路から一番離れた場所に立っていました。歩道でも、なるべく自動車から離れた所を歩く、徹底した配慮が感じられます。

 

なる子も保育園児たちをお散歩に連れて行ったことがあります。予測のつかない動きをすることもある子どもたちと道路の脇道を歩くのは、毎回命がけ。車、バイク、自転車が往来する歩道のない道を通って公園まで行っていました。街中なので、できるだけ安全な道を選んでもそうなるのです。そんな危険を冒してもお散歩に行くのは園庭がない、という理由もありましたが、様々な経験をさせてあげたいと願う保育園の愛です。園庭があってもお散歩はあります。田舎でも都会でも同じだと思います。だから、保育士は毎回ものすごいプレッシャーを背負って命がけでお散歩に出ているのです。

のんびりお散歩している集団が、そんなプレッシャーの中歩いているとは一般の人は知らないし、わからないでしょう。本当に大変なのです。

 

 

ほとんどの人が知らないかもしれませんが、お昼寝の時間も命がけです。

うつ伏せで窒息死する事件なども過去ありました。今、保育園では5分おきぐらいに息をしているかのチェックをしていたりします。口元に手をかざして鼻息を感じたり、大きい子になると布団を頭からかぶったりうつ伏せで寝たりもするので、背中に手を当てて呼吸を感じて生存確認をします。

 

それでもお昼寝してくれる時間は保育士さんにとっては交代で休憩を取れることもあるし、ご飯を食べたり、連絡帳を書いたり、イベントの準備をしたり、スタッフミーティングをしたり、子どもと関わる以外のこともできる貴重な時間です。

 

 

今回の大津の事故では、保育園は最善を尽くしていたし、どうして命を巻き込む事故が起こるのか!と憤りも覚えますが、不幸・不運な事故であったとしか言いようがありません。

 

保育園は事故報告書を作成しなければいけないし、保護者に説明しなければいけないし、保育は継続しなければいけないし、保育士も子どもたちも保護者もみんな心のケアが必要。どうか乗り越えていってほしい。

 

 

早く、保育園に笑顔が戻りますように。

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通訳は特殊なスキル

英語がちょっとできるからって通訳や翻訳を仕事にできる訳ではありません。

もし、英語がネイティブレベルだとしても誰にでもできる仕事ではないのです。

通訳・翻訳は専門の訓練が必要だったりします。

まあ、ちょっと考えればわかることではありますが、2つの異なる言語に精通し、変換していくのですからかなり高い言語力が必要なのです。特に同時通訳はその場で双方に伝えなければいけないのですから、どれだけ高いスキルが求められているか銅像できるでしょう。

 

さらにもう一つ大事なスキルがあります。

日常会話の簡単な通訳であれば気軽にできるかもしれませんが、通訳が欲しいと思う場所は日常会話ではないことが多いのではないでしょうか。

スポーツ選手の通訳、科学者の通訳、企業間のビジネスの通訳…などなど。

そこで通訳の人たちには事前のリサーチが必要となるのです。専門的な内容に対応すべく、専門用語の勉強をしてから本番があるのです。なので、特に得意な分野を持っている通訳も少なくありません。

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…と、偉そうなことを書いてみましたが、以上は企業で通訳として仕事をしている友人から聞いた話を元にしています。

 

なるこは一応ヒップな国際都市、ロンドンに留学していたはずなのですが、英語が苦手で、できることならあらゆる場面で外注したいぐらいです。TOIECの点数とか、留学仲間の中で一番低いです。

しかし、アートの世界に戻ると決意したからには英語は避けられません。もう一度勉強していくことになりそうです。恐ろしいことですが、アート業界はびっくりするほど英語ができる人が多いのです。グローバルであることがデフォルトです。経歴書は日英文で書きます。作品のステートメントバイリンガルで書けた方がいいです。通常展覧会ではバイリンガル表記が当たり前。作品展の図録なんかを買ったことがあれば気づいているかもしれませんが、発行するものは日英文で書くのが基本なのです。今滞在しているレジデンススタジオにも海外から来ているアーティストが何人かいます。そういうアーティストと平気で英語で喋っている日本人アーティストたちがゴロゴロいます。ここは本当に日本なのか。

超地域社会にある放課後施設の前職と状況が違いすぎる。

約10年ぶりに英語を使う環境にはっきり言って焦っています。

 

本当にダメダメ英語でコンプレックスがあるのに、「今度アーティストトークの通訳やってくれない?」と頼まれ、「はい、頑張ります。」と答えてしまいました。

ヤバい。

ほぼ内輪のイベントとは言え、同時通訳とか、スキル的には完全に実力不十分。とりあえず、アーティストさんの作品説明を英文で出してもらって下準備をすることにしました。さらにアーティストトーク本番までに、どんなことを話すのかしつこく聞くしかありません。

 

何事もチャレンジの1年にする!苦手な英語にも再チャレンジ!

アーティストさんの作品のコンセプトなど、皆さんに伝わるよう頑張ります。

腱鞘炎に効く!

毎日スタジオへ行き制作する幸せな日々!を送っていましたが、この数日うまくいっていません。

 

なぜかというと、フィジカル的に動かないのです。

右手が。

頑張りすぎた結果がこれです。

 

腱鞘炎。

 

もはや、蛇口をひねれば激痛。

ボールペンを握ろうとしても激痛。

 

やってもうた〜。

 

売れっ子漫画家ならともかく、こんな売れないアーティストが腱鞘炎! 

 

よくわかったよ。

右手!頑張りすぎだよ。ちょっと休もう。

 

そんな訳で、制作は一旦控えめにして、読書の時間にしています。

 

10連休中に読んだのはこの2冊。

 


感性は感動しないー美術の見方、批評の作法 (教養みらい選書)

 

 


壁 (新潮文庫)

 

普段あんまり読まないタイプの本を読もうとした結果、すぐ眠くなって昼寝ばっかりしていました。

 

本当のお助けグッズはこれです。

これのおかげで何とかなっています。

ロキソニンSテープ(詳細)|第一三共ヘルスケア

https://www.daiichisankyo-hc.co.jp/products/imgs_product/pict_loxonin-s_tape.jpg

1日4枚を超えて使ってはいけないそうです。

そんな注意書き読むと危険な香りがしますが、麻酔的な感じでかなり効いています。

本当に痛みがおさまってきました。痛みどめなので、根本的に治る訳ではないですが、炎症を抑えてくれている感じがします。

 

あと、腱鞘炎の予防に「グー、パー」のストレッチが良いと聞きました。

親指を中に入れるグーです。

スマホの使いすぎでも腱鞘炎になる人がいるようです。時々「グー、パー」してください。

 

もう1日休めばよくなるような気がします。

そもそも、仕事もないのですが、あまり制作できないし、本を読めばすぐ昼寝するしで、ちょっと遅れてきた大型連休の気分を味わっています。

 

皆さんも腱鞘炎、気をつけて。

ゲリラ豪雨にどう対応するか

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ゲリラ豪雨がやってきた。どうする!?

久しぶりにビクッとなるほどの雷鳴を聞きました。

熱帯化する日本列島において、夕立は危険を伴うゲリラ豪雨と化してきていると多くの人が感じていると思います。

 

ゲリラ豪雨には頭を抱えた思い出がたくさんあります。

お子さんをお預かりする放課後児童クラブに勤めていた時のことです。

 

子どもたちは、保護者があらかじめ決めた時間に退室帰宅することになっています。

ところがその帰宅時間に、ゴロゴロと不穏な気配がすることがあるのです。

 

明らかに外に出れないような豪雨や雷の時は、室内待機しかありません。

小雨でうっすら聞こえるような聞こえないような、という時が一番判断に困ります。

大丈夫だと思って子どもを出してしばらくして大雨になったり雷が鳴ったりすることもあります。大人でも雷は怖いと思うのですから、小学生にとってはどれほどでしょう。半泣きで帰宅する、ということもあるかもしれません。

 

お役立ちツール 雨雲レーダー

運営側が判断に迷う時は、保護者に連絡することがあります。

わかっているのです。

「どうしますか?」と言われても困る。

そんなことはわかった上で連絡するのです。

 

しかし、ほとんどの方は「こちらも降ってきたので気になっていました。連絡ありがとうございます。」と言って、状況を察してくれて、お迎えに変更するか、雷雨が落ち着いたら帰宅させる、とその場で判断してくれます。

 

でも、「え?職場の方は晴れているんですけど、どのくらいの雨ですか?」「え?ゲリラ豪雨?職場が地下なので気づきませんでした。」なんてこともあります。

様子が全くわからないのに、「どうしますか?」と聞かれてもそりゃあ困りますよね。

逆に、「どのくらいで止みそうですか?」と聞かれて、児童クラブ側が困っちゃう、ということも。

 

なる子はお助けツールとして、これを使っていました。

雨雲レーダー - Yahoo!天気・災害

 

過去・現在・未来予測(60分程度)で雨雲の様子を見ることができます。

 

「マジか!これ作った人、天才!」

最初使った時の感動を表すのに、これ以上の高尚な言語を紡ぎ出せません。

 

雨雲レーダー系のアプリはたくさんあるので、使いやすそうなのをスマホに入れておくといいでしょう。

 

なる子はスマホを取り出せない職場環境だったので、パソコンで見れるサイトは重宝しました。

これがあれば、「しばらくは豪雨が続くので、1時間は子どもを外に出せないだろう。帰宅予定時間より先まわりして保護者に連絡しよう。」とか、実際に電話のやり取りでも、「天気の予測では、20分後には雨雲が通り過ぎそうです。」など、気持ちに余裕を持って対応ができるのです。

 

保護者側も雨雲レーダーを見て大体の予測を立てることができれば、「今は無理せず、1時間預かりの延長をお願いしよう。」など、安全を第一に行動することができるのではないでしょうか。

 

お迎えにするか、ひとりで帰らせるか

稀に「雷ウェ〜イ!興奮するぜ!最高〜!」みたいな元気なお子さんもいらっしゃいますが、ほとんどの子が、大きな音や稲光にビックリして怖がっています。

お迎えにきてもらえると、心からほっとしている様子が見れます。

少しお迎えが遅くなっても、「お電話で、お母さんがお迎えにくるから待っててね、って言ってたよ。」と伝えてあげると、いつもより長い時間でも頑張って待っています。

でも、いろんな事情があって全ての保護者がお迎えに来れる訳ではありません。

薄暗く、雨の降る中、ひとりで帰らなければいけないことだってあるのです。

電話を取り次いで、親子で直接話をしてもらうこともありました。親の声を聞くだけで子どもたちは勇気をもらえるのです。

 

きっと家で会った時には、「頑張ったね。」という励ましの言葉や、温かいご飯やお風呂、家族の笑顔でほっとすることでしょう。

 

「全然怖くないし!」と言うかもしれませんが、きっとドキドキしていたはず。

 

今日のゲリラ豪雨は休日だったから親子一緒にいた家族がほとんどだと思いますが、学校のある日、放課後児童クラブなどに預けている日、お留守番をさせている時、ひとりで遊びに出かけている時、いろんな状況を想像して、事前に家族で対策を練っておくといいかもしれませんね!

 

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迷える若い画家たちへ

「何千万年も前から人間は絵を描き続けていて、この先も描き続けるはず。未来の人間にも通じる絵を描きたい。」


「迷いそうになる時、地図になってくれる目標が2つあると良い。

1つは叶うか叶わないかわからないけどやりたいこと。

もう1つは絶対に達成すると決めていること。」


大活躍中のアーティスト淺井裕介さんが今日放った言葉です。


母なる大地に命を捧げて描いているような方だと思いました。


私は微妙に淺井さんより若くないけれど。

若いアーティストを励ましてくれる、温かさがありました。


あと、筋トレ大事って言ってました。

スーパーがつくほど頼り甲斐のあるアシスタントさんも、夜中3時に作業終わっても、タクシー乗らず歩いて帰るそうです。


描き続ける体力。。。耐力。

最近色んな所で聞く気がする。


よし、早起きして腹筋しよう!

第一線で活躍するアーティストが考えていること

自分のトークではボッコボコにやられて、ちょっと凹んで、立ち直ろうと頑張っているなる子です。 

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アーティストトークに出たと言っても、小さなアーティストの集まりです。そういう意味では、世界の第一線で活躍しているアーティストのトークとは全然ステージが違うのです。

 

小さな世界で落ち込みまくったり、反省したり、ちっぽけな自分のアーティストトークの記憶を残しつつ、行ってきました。

 

リニューアルオープンしたばかりの、

東京都現代美術館!!

MOT+!!のアーティストトークです!

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www.mot-art-museum.jp

現在は所蔵作品を中心とする『百年の編み手たちー流動する日本の近現代美術ー』展を開催中。まだまだ助走期間ですね。

 

私が期待しているのは来年3月のオラファー・エリアソンの大規模個展。

 

2003年、ロンドンのテート・モダンでの『Wether Project』は伝説。タービン・ホールに現れた大きな太陽に感動した人はたくさんいます。

なる子は、、、この頃はまだロンドンにいなかった。くぅ…見たかった。

 

そんなオラファー・エリアソンは2018年末、ロンドンのテート・モダンの庭などにグリーンランドから運んできた巨大な氷の塊が少しずつ溶けて消えるまでのインスタレーションを展示したばかり。環境問題も他人事ではなくアートを通して実際の体験となる話題作。その氷から発せられる冷気を感じたり、実際に触って「冷たい!」と確かめたり、パチパチと氷の中から弾ける太古の空気を聴いたりする体験は、百聞は一見にしかずのその向こう側にあるのです。

 

これも見れなかった…くぅ…。

 

そんなオラファー・エリアソントークが聞けるというチャンス!

行ってきました。

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どんな方なんでしょう。

 

「森の中に住んでそうにも見えるし、スーパーカー乗り回しているようにも見える。」(友人談)

 

売れっ子アーティストですものね。笑

 

 

アートは個人的な体験 ミクロからマクロへ

 絵画や彫刻の場合、作品そのものの見え方は誰が見ても大きな差異はないけれど、アラフォーの作品は現象であり、個々の体験であるので、鑑賞者によって、見え方が異なるのだ、という話から始まりました。

 

同じ時間、同じ場所にいたとしても、立ち位置によって見え方が異なる、それは儚い体験なのだと。

 

個別の体験とはつまり、鑑賞者が作り手になるということ。

 

アートは、「ああ、これは知っている感覚だな、知っている気持ちだな。」と記憶を呼び覚ますことがある。

 

また、無意識の中にあるものと重なり、言語化されていく。「心の中を聴いてくれた。拾い上げてくれた。」我々がアートを見ているのではなく、アートが我々を見てくれているのだ。

 

そして個人的な体験は、共有することで、Me→Weへ。

個人(ミクロ)は地球規模(マクロ)で変えていくことができるのだ。

 

え?意味わかんない?

 

ちょっと待って。私の拙い説明が悪いんだ。

 

アートは誰のため

アーティストとして、「アートとデザインの違いとは」が話題に上がることがあります。なる子が学生だった頃、ある若い学生が、「デザインは自分のためにする仕事。アートは他人のためにする仕事。」と言いました。

 

なる子は、「あれ?逆じゃないの?」と思ったのです。

アーティストのイメージは、わがままで、破天荒で、自分勝手に作品を作っている。それに対して、デザイナーはクライアントがいて、人の為に仕事している。

 

デザイナーが自分の為に仕事しているかどうかというのは、今も賛同しかねるけれど、アートが決してアーティスト個人の為のものではなく、人々の役に立つものである、そういう時代であることは、オラファーの作品を見ると納得がいくのです。

 

オラファーは今、Little Sunというプロジェクトを進行中です。これは、太陽の形のソーラー充電できるライト。5時間ソーラー充電すれば、明るいLEDライトが一晩輝くというライトです。

これを電気がまだ来ておらず、軽油で明かりを取っているような地域の家庭に渡して使ってもらうというプロジェクトです。

ひと家庭で起きた小さな変化でも、何千、何万軒と広がれば、大きなエコ活動となる。

こういったことを企業や各国政府、国連をも巻き込んでやろうとしているのです。アートが社会と繋がることは、これからもっと多くなっていくことでしょう。

 

現代のアートが決して自己中心的なものではなく、誰かの役に立つものになる、それを実践しているアーティストだとトークを聞いて思いました。

 

オラファーがアートを通して得た気づきとは

アートは心の思いに応えてくれた、聞いてもらえたという気持ちになれる経験だとトークの冒頭で言っていました。

ある女性が、「オラファーさん自身が、応えてもらえた、聞いてもらえたという気持ちになった初めての経験を教えて欲しい。」と聞きました。

(こういう素晴らしい質問ができる女性を私は心から尊敬します!)

 

オラファーさんのお父さんは料理人で、余暇は絵を描いて過ごしていたそうです。

お父さんは、オラファーさんの初めての絵の先生であったけれど、「〇〇を描け」という教え方はしなかった。「ぐちゃぐちゃでいい。自由に思うがままに描くといい。その中に自分で何かを見つければいい。」そう言われて、ぐちゃぐちゃぐるぐると描いた線の中に、ある時、「トラと太陽」が見えた。それがオラファーさんにとって忘れられない最初の「アートが応えてくれた」経験だったそうです。

 

オラファーは、自分の受けた教育がバックグラウンドにあるということを前提とした上で、「子どもはまっさらな状態で生まれてくる。何かを描こうとする時に、家だ、猫だと決めつけたり、そう描かせようと強制しないで欲しい。」と最後に締めくくりました。

 

未来の子どもたちの為に。

 

自分の為ではなく、誰か他の人の為にできることを考えるアーティスト。

 

振り返って自分を見つめ、できることを考えたいと思うのでした。

アーティスト飯がヤバすぎる件

狂った新生活、アーティストへの道

朝から晩まで制作する生活はたしかにちょっと狂っている。

 

私が今制作しているスタジオは若いアーティストもいるけれど、アラフォー以上のアーティストが意外に多い。

そこそこの年齢までアーティストを辞めなかった人たちの働き方(制作ペース)は常軌を逸している。

 

はっきり言って、美大芸大卒業したってアーティストになれるわけではなく、だいたいみんな貧乏で辞めていく。

親が非常に裕福で、支援を受けながら活動できる人もいるけれど、ほとんどの人が金銭的限界と精神的限界を感じてやめる、もしくは趣味程度に収まるのが現実。

 

スタジオに集まっている大人の人たちは、どんな逆境にも耐えてアーティストとして生きる道を選んだ人たち。ほとんどの人がアルバイトもしながら制作していて、中にはフルタイムで会社員をしながら夜と土日は制作していて、一年中疲労でふらふらという人もいる。

 

なる子もロンドンから帰国した頃には、生活が立ち行かなくなり、フルタイムで働く道を選びました。ブラック企業に当たってしまったり、転職先も都内で生活するには薄給だったり、責任も重かったり職場が小旅行並みに遠かったりと両立するのは厳しい状況。このままアーティストの筆を折るのかと、苦しい気持ちでいたけれど、どれだけ悩んで苦しんでいても、毎月最低限のお金が入ってくる事実は、生活の土台になり、心の安定をもたらした。

 

それを捨てても、アートの道に戻りたい、と決意し正社員の仕事を辞めて無職になるのだから、一般的には狂ってると思う。

 

今、スタジオで制作していると、アーティストを続けられる条件がお金だけではない、と言うことがはっきりと言える。 

 

朝ごはんを食べる時間も惜しいと電車に飛び乗り、スタジオに到着するなり作業に取り掛かり、気がついたらげっそり。なんていうアーティストは一人や二人ではない。

 

そして、お金がないからなのか、時間が惜しいのか、アーティストのスタジオご飯のクオリティがひどい。お金の余裕がありそうな人でもひどいので、多分後者(時間が惜しい)なんだと思う。

何に取り憑かれてそうなるのか、自分でもわからないけれどもアートは魔物である。

 

ミニキッチンがあるので、簡単なものは作れるし、外に行けばそれなりに食べる場所もあるのだけれど、ほとんどのアーティスト飯が、カップラーメンや、サトウのごはん、混ぜるだけのパスタソース、など、炭水化物中心の健康ブームに真っ向から対峙するようなメニュー。

 

先日は、私も含めて3人がサトウのごはんだった。そのまま、茶碗とかに入れ替えることなく、カレーをかけたり、唐揚げを載せたりして食べていた。

 

室内にこもって絵を描いたりしているだけだから、お気楽なものと思われがちだけど、

「制作って頭使うせいか、すごくエネルギー必要だよね。特に糖分、コメ系の。」

というのが、サトウのごはんかぶり3人の総意である。

 

フルタイムで会社員をしながら制作しているという女性アーティストは、とても丁寧な作品を作る人で、デスクの上はいつも綺麗に整頓されている。

しかし、その整った机の上に並んだ制作道具の中に、とんがりコーンがそびえ立ち、カレド・ショコラが鎮座している。 

 

近くのスーパーのお弁当が8時半になると半額になるそうだ、と言う情報が入ってきた。果たして8時半まで待てるのか、と問われると、多分私は待てない。その噂を回してきた本人だって、昼夜用のつもりで買った2食分のカツ丼を午後4時に全部食べて、1日1食だったことがある人だ。それは1日1食なのか、2食なのか、もう誰にもわからない。

 

こつこつ作り続けなければ終わりはないから、サボったら負け!

見えない何かと戦いながら、食生活がどんどん歪んでくる。

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自己管理をどこまでできるか

制作する時間をできるだけ長く取りたい、と思うと「簡単・早い」が最重要となってくる。買いに行ったり、食べに行ったりすると結構時間がかかるから、朝ごはんを食べながら、お弁当を作って出ることもある。

 

しかし、今日の私は、何かダメなものを食べてしまったらしく、ほぼ1日トイレの住人となってしまった。自分で作ったものでお腹を壊しているのだから、しょうがない。

 

そしてこうなると制作どころではないのである。

 

お腹の弱さに屈した1日だった。

 

ちょうど、勢いよく制作を始めて1週間経ったところだったから、少し休ませろという合図だったのかもしれない。

 

周りのアーティスト飯に惑わされてはいけない。

 

皆さんもどうか、自分に合った自己管理を!