自分のトークではボッコボコにやられて、ちょっと凹んで、立ち直ろうと頑張っているなる子です。
アーティストトークに出たと言っても、小さなアーティストの集まりです。そういう意味では、世界の第一線で活躍しているアーティストのトークとは全然ステージが違うのです。
小さな世界で落ち込みまくったり、反省したり、ちっぽけな自分のアーティストトークの記憶を残しつつ、行ってきました。
リニューアルオープンしたばかりの、
東京都現代美術館!!
現在は所蔵作品を中心とする『百年の編み手たちー流動する日本の近現代美術ー』展を開催中。まだまだ助走期間ですね。
私が期待しているのは来年3月のオラファー・エリアソンの大規模個展。
2003年、ロンドンのテート・モダンでの『Wether Project』は伝説。タービン・ホールに現れた大きな太陽に感動した人はたくさんいます。
なる子は、、、この頃はまだロンドンにいなかった。くぅ…見たかった。
そんなオラファー・エリアソンは2018年末、ロンドンのテート・モダンの庭などにグリーンランドから運んできた巨大な氷の塊が少しずつ溶けて消えるまでのインスタレーションを展示したばかり。環境問題も他人事ではなくアートを通して実際の体験となる話題作。その氷から発せられる冷気を感じたり、実際に触って「冷たい!」と確かめたり、パチパチと氷の中から弾ける太古の空気を聴いたりする体験は、百聞は一見にしかずのその向こう側にあるのです。
これも見れなかった…くぅ…。
そんなオラファー・エリアソンのトークが聞けるというチャンス!
行ってきました。
どんな方なんでしょう。
「森の中に住んでそうにも見えるし、スーパーカー乗り回しているようにも見える。」(友人談)
売れっ子アーティストですものね。笑
アートは個人的な体験 ミクロからマクロへ
絵画や彫刻の場合、作品そのものの見え方は誰が見ても大きな差異はないけれど、アラフォーの作品は現象であり、個々の体験であるので、鑑賞者によって、見え方が異なるのだ、という話から始まりました。
同じ時間、同じ場所にいたとしても、立ち位置によって見え方が異なる、それは儚い体験なのだと。
個別の体験とはつまり、鑑賞者が作り手になるということ。
アートは、「ああ、これは知っている感覚だな、知っている気持ちだな。」と記憶を呼び覚ますことがある。
また、無意識の中にあるものと重なり、言語化されていく。「心の中を聴いてくれた。拾い上げてくれた。」我々がアートを見ているのではなく、アートが我々を見てくれているのだ。
そして個人的な体験は、共有することで、Me→Weへ。
個人(ミクロ)は地球規模(マクロ)で変えていくことができるのだ。
…
え?意味わかんない?
ちょっと待って。私の拙い説明が悪いんだ。
アートは誰のため
アーティストとして、「アートとデザインの違いとは」が話題に上がることがあります。なる子が学生だった頃、ある若い学生が、「デザインは自分のためにする仕事。アートは他人のためにする仕事。」と言いました。
なる子は、「あれ?逆じゃないの?」と思ったのです。
アーティストのイメージは、わがままで、破天荒で、自分勝手に作品を作っている。それに対して、デザイナーはクライアントがいて、人の為に仕事している。
デザイナーが自分の為に仕事しているかどうかというのは、今も賛同しかねるけれど、アートが決してアーティスト個人の為のものではなく、人々の役に立つものである、そういう時代であることは、オラファーの作品を見ると納得がいくのです。
オラファーは今、Little Sunというプロジェクトを進行中です。これは、太陽の形のソーラー充電できるライト。5時間ソーラー充電すれば、明るいLEDライトが一晩輝くというライトです。
これを電気がまだ来ておらず、軽油で明かりを取っているような地域の家庭に渡して使ってもらうというプロジェクトです。
ひと家庭で起きた小さな変化でも、何千、何万軒と広がれば、大きなエコ活動となる。
こういったことを企業や各国政府、国連をも巻き込んでやろうとしているのです。アートが社会と繋がることは、これからもっと多くなっていくことでしょう。
現代のアートが決して自己中心的なものではなく、誰かの役に立つものになる、それを実践しているアーティストだとトークを聞いて思いました。
オラファーがアートを通して得た気づきとは
アートは心の思いに応えてくれた、聞いてもらえたという気持ちになれる経験だとトークの冒頭で言っていました。
ある女性が、「オラファーさん自身が、応えてもらえた、聞いてもらえたという気持ちになった初めての経験を教えて欲しい。」と聞きました。
(こういう素晴らしい質問ができる女性を私は心から尊敬します!)
オラファーさんのお父さんは料理人で、余暇は絵を描いて過ごしていたそうです。
お父さんは、オラファーさんの初めての絵の先生であったけれど、「〇〇を描け」という教え方はしなかった。「ぐちゃぐちゃでいい。自由に思うがままに描くといい。その中に自分で何かを見つければいい。」そう言われて、ぐちゃぐちゃぐるぐると描いた線の中に、ある時、「トラと太陽」が見えた。それがオラファーさんにとって忘れられない最初の「アートが応えてくれた」経験だったそうです。
オラファーは、自分の受けた教育がバックグラウンドにあるということを前提とした上で、「子どもはまっさらな状態で生まれてくる。何かを描こうとする時に、家だ、猫だと決めつけたり、そう描かせようと強制しないで欲しい。」と最後に締めくくりました。
未来の子どもたちの為に。
自分の為ではなく、誰か他の人の為にできることを考えるアーティスト。
振り返って自分を見つめ、できることを考えたいと思うのでした。