アーティストトークとは
アーティストトークのやり方はアーティスト次第で特にフォーマットはないし、自由に喋ればいい。まあ、無名アーティストの場合、作品と自己紹介的な内容になることが多いかも。
そんなアーティストークをしてきました。ボッコボコにやられて凹みました。
素晴らしい作家たちの発表が終わってからのトリのなる子。
トリだったのは、全く意図されたものではなく、枠が空いてたから入れられただけ。
発表を終えて質疑応答時間、厳しい意見も飛び出したのです。なんとなく批判的な空気が漂う中、だんだん冷静でいられなくなり、質問や意見の内容が頭に入ってこない。
テンパってしまってうまく答えられなかった。せっかくの皆さんの意見なども即座に整理できないし。
フォローを入れてくれる人もたくさんいて、色々励ましてくださったけれど、自分の脳みその使ってなかったところをこじ開けられるような感覚に正直追いつけなかった!
悔しい!
数日経って、思うことは。
議論が起こることは悪いことではない。
私の作品はアートとデザインとクラフトのボーダーをさまよっているような雰囲気で、日本のコンテンポラリーアートの文脈の中では「これはアートなのか?」となりがち。
そのことをコンプレックスに思っていて、いかにも現代アート作品を作るアーティストにめちゃめちゃ憧れと尊敬と嫉妬心を抱いていた。
だけど、批判があったり面白がってもらったりするということは、可能性があるということだ!
箸にも棒にもかからないアートならスルーされて終わっていた。
期待値があるから、人は批判するのである。
これは、カスタマーサービスでも同様。
クレームはお客様の期待の表れである。
批判する人が出ることで、擁護するような意見も出たし、一気に味方がたくさんできた気持ちになれた。トークの後でわざわざ作品を見にきてくれる人が結構いて、これはビューワーに何かの引っかかりを抱かせることに成功しているんだ!
まだまだアートの道の再始動は本当にスタートしたばかりで、自分自身に足りていないアートのボキャブラリー、考察やリサーチの弱さであったりとか、そういったことを考えさせられた。
正直、批判意見はダメージを食らうし、ちょっと落ち込んだ。言葉に対し、言葉で上手く返せなかった悔しさよ。
でも、なる子、もう一回自分に言い聞かせるよ。
落ち込む必要はなし。
議論を生むアートには可能性があるのだから。賛否両論あることが、社会と関わりを持てている証拠で、それこそがアートの役割の一つなんだ!
なんだったら、本当の賛否両論にはまだまだ程遠いわ!
新年度、新しい場所で、厳しい意見などに打ちのめされている人が、なる子の他にもいたら伝えたい。
「あなたには可能性がある。」
まあなんとかなる子より。