なる子とマーナル☆

少女の心を忘れない、なる子とマーナル☆によるアート・旅行・キッズ応援ブログ

別れの季節。先生と児童の別れをどうする。

先生と児童の別れは突然やってくる。

 

なぜなら、教育関係など年度区切りで人事異動がある仕事は、本当にギリギリまで人事がわからないからです。

 

オフィシャルには4月1日付け。

新年度になるまで保護者や児童には知らされないことが多いのです。

 

絶対そうとも限らないので、放課後児童クラブでは、そろそろ異動や退職の職員のことを知らせたりしている頃かと思います。

 

うちも…そろそろかな〜。

 

事前に知らせると、保護者の方が餞別の品をくれたり、児童がお手紙などをたくさん書いてくれたり、離れる職員の為に涙涙のセレモニーをしてくれたりすることもあります。

 

でも、なるべく大げさにしない方がいいと思っています。

 

お手紙やプレゼントをいただくことはとても嬉しいのだけれど、残る人たちやこれから入ってくる人たちの為にも、去っていく人より残っていく人たちの姿を重要視するべきなのです。

 

涙涙の別れをしてしまうと、残された児童がこんなことを言ったりします。

「新しい先生、つまんない。前の方がよかった!〇〇先生に来て欲しい!」

 

これを言われると、職員は傷つきます。人間だもの。

それに、実際にはそんなに大差ないのです。

 

子どもたちの方も、新しい先生がつまらないのか、自分が成長したことによってこれまで楽しかったこともつまらなく感じているのか、正確な判断ができていないかもしれません。辛いことや不満が生じた時に、原因を探り、「大好きな先生との別れ」を思い出すことはあまり良いこととは思いません。

 

 

去った職員もいつまでも顔を出したりするのはよしましょう。

声をかけてもらったり、子どもたちが集まってくるとうれしいかもしれないけれど。

もうそこにあなたの居場所はないのだから。

 

過去にひきづられるような別れかたは不要です。

潔く去っていくのです!

 

なんでもないことのように別れる。

それも愛なのです。

 

…と。

こんなこと書いて。

ええ、頭ではわかっているのです。

 

でも、涙なしにお別れできる自信はこれっぽっちもないのですよ。

 

 

退職前の有休消化、どうする?

なる子の退職日が迫ってきました。

 

少し、寂しい気持ちもあります。

 

退職と言えば、話題に上がるのが「有休消化」です。

 

これまで貯めてきた年次有給休暇を退職前にまとめて取ろうというのは日本社会によくある現象かと思います。買い取ってくれる、なんて話もありますよね。

 

定年退職を前に2ヶ月丸々休むとか、そんな話を聞くたびに「仕事が好きすぎたのか」「休みにくい職場だった」のか…と推測することもありますが、そもそもそんなに有給休暇がたまる仕組みになっていることがホワイト企業!と思ってしまいます。

放っておくと、有給休暇が消滅する仕組みの会社って、ありますよね?

 

さて、私も有給休暇をしっかり消化して退職しようと考えています。

 

有給休暇については苦い思い出があります。

以前勤めていた会社でのことです。

www.ma-naru.com

 

契約社員でしたが、「有給休暇?ないよ、そんなもの。」という雰囲気の会社でした。

総務の方と話をすると「労働基準法に準ずる」とだけ言われたので、必要な時には有給休暇を無理やり取っていました。契約が切れる前に「有給が残っているから最後の1週間は休みたいのですが。」と伝えると、「え?うちの会社辞める時に有給休暇の消化をするような人いないんだけど。」という答え。

 

有休は権利ではないのか。Google先生の言ってる答えといつも違う答えが返ってくるこの会社。本当にもう…

 

1日も早く辞めたい気持ちだったので、残った有給休暇の約半分で手を打って、なんとか離れることができたのでした。

その後も1ヶ月くらい仕事の内容で電話をかけてくるので、1ヶ月経ったところで着信があっても出ないことにしました。

 

そんな経験から、現職の会社では少しずつ有給休暇を使い続けてきました。

これでしっかり消化して退職できそう。

 

そう計画していたところ、上司から「なる子さん、退職日どうする?」と電話。

 

「え?末日で書類出しましたけど。」

 

「あ〜、そうか〜、もう出したのね。有給休暇、残らない?大丈夫?」

 

…!!

 

なんと、有給休暇の残り具合で退職日を調整してくれようとしていた。

給料低いことを除けば、ウルトラホワイトかよ。

 

普通のことかもしれませんが、配慮していただいたのはありがたかったのです。

 

なる子は、自分が現場リーダーだったので率先して有給休暇をこまめに取り続け、他の職員にも「有給休暇取らない?」と呼びかけ続けていました。

 

年度末って激務なんですよ。

小学校の春休み中は早朝から仕事だし、新入生も4月1日から来るのでその準備もあるのです。

あまりたくさん休むと残る職員に負担がかかるので、なるべく早めに取ってしまって、無事に退職までに有給休暇を全消化する段取りをつけました。

 

 あと少し。最後まで頑張ろう!

 

大阪の地下鉄、都市伝説

大阪の地下鉄ロゴマーク

大阪から新幹線の車内で、マルコを描く練習をしていたなる子です。

 

マルコとは旧大阪市営地下鉄ロゴマークです。

大阪(Osaka)の「O」と、 高速鉄道の「コ」を合わせたデザインであると言われています。

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1933年の地下鉄御堂筋線建設時に、京大の建築学科、武田五一教授という方がデザインされたそうです。

 

2018年、地下鉄の民営化にともなって、名称が「大阪メトロ」になりました。

ロゴももちろん新しくなったのです。

雨の闇夜に灯る「M」のロゴ。

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悪目立ちせず、都市に馴染むすっきりとしたデザイン。

以前のデザインにも愛着はあったけれど、これはこれで悪くない。

 

よし、今日は「マルコマーク」のこととか、地下鉄について書くか〜。

 

と帰宅したら、こんなものが届いていた。

 

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銀座のクリエーションギャラリーからの展示のお知らせ。

大阪メトロのロゴマーク!!

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まじか。シンクロニシティとやらが続いている。

4月4日からスタートだそうですよ。

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このMetroのMマークは角度を変えてみると円になり、OsakaのOであると。

地下鉄のトンネルもイメージしたとのこと。

すご〜い!感心しちゃう!!

式部義昭さんのデザインとのことです。

 

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プロモーション映像もかっこいいのだけれど、公式動画が見つからなかったので、この展示で見れるといいなあ。

 

 

マルコにまつわる都市伝説

 公式には丸はトンネルで、コは郊外に路線が伸びていく将来像を表した、など色々言われていますが、一つ、都市伝説があります。

 

「実は、ロンドンの地下鉄のマークをパクった説」

1910年代、「ロンドン・トランスポート」が各鉄道会社を統合して誕生しました。その時、「ラウンデル」と呼ばれる円形のマークが採用されたと言います。

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アート作品のような路線図の原型も1931年にできました。

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公共デザインの成功例として名高いロンドン・トランスポート。

「ラウンデル」もお絵かき練習。適当に描いてもそれっぽく見える。
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見れば見る程、マルコマークはパクリ説はあり得る話だと思えてくる。

 

少なくとも、ちょっとは参考にしててもおかしくないですね。

 

大阪地下鉄にまつわる都市伝説 その2

都市伝説というか、もし七不思議があるなら、コレを入れます。

大阪ローカル民が、なぜか左に立つエスカレーター。

 

「大阪でエスカレーターゆーたら、右に並ぶのが常識や!世界基準やで!」

が、常套句なのにコレは一体どうしたことか。

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この映像がどこかすぐわかる人はなかなかいないと思います。

 

文化の交流地点、新大阪でもなく、大阪駅でもなく、関空付近でもない。

 

ここは住之江公園駅。

地下鉄四つ橋線から、ニュートラムに乗り換える途中にある大エスカレーターです。

 

いつ行っても左側にみんな立っています。

 

本当にここだけです。ここ以外の奇異な場所は知りません。

時空が歪んでいるのでしょうか。

同じ駅内でも、ニュートラムから四つ橋線に向かう下りエスカレーターは、右側に人々は立っています。

もしかしてここら辺に住んでいる人は、大阪民でありながら、何かの組織を形成していてよそ者を見極めているのかもしれません。

いつ、探偵ナイトスクープが取り上げてくれるのか。なる子は待っています。

 

今日、お伝えしたこと…

信じるか信じないかはあなた次第です。

 

絵本が呼ぶ奇跡

お土産絵本を選ぶ

今日は久々に会う友達の家にお邪魔しました。

前回会ったのはお腹がパンパンに大きくなっていた頃。

あれから数年経って、いつのまにか2人目も生まれていました。

 

 

お土産どうしようかなーっと悩んだ結果、絵本を選んでみることにした。

上の子もまだ2歳なので、赤ちゃんん向けの絵本でもいいのだけれど、そのうち大きくなるのでもう少し対象年齢関係なく読めそうなものはないか。

本屋で手当たり次第開いて吟味。

 

2択まで絞った。これだ!

 

きょうはそらにまるいつき

きょうはそらにまるいつき

 

 

ネコヅメのよる

ネコヅメのよる

 

 

 

前者はおつきさまを見つめる赤ちゃんの視線と、そのあかちゃんを大事そうにみつめるお母さんの姿が美しくて、うっとりする絵本。

日本絵本賞、大賞受賞とのこと。

 

後者は細かい描き込みと、猫の何気ない仕草の描写が印象的な、町田尚子さんの絵本。

 

どうしようかなー、と悩み抜いた結果「ネコヅメのよる」にすることにしました。

新井さんの本はとても素敵なんだけど、この本に限っては、手書きの下手うま文字が、ちょっとだけ好みじゃなかったのです。新井さんの本は手書き文字が味のひとつなんですが。

 

「ネコヅメを選んで本当にいいのか。」悩みました。

 

友人はたしか犬派だったし、この表紙は怖すぎて赤ちゃん泣いちゃうかも。

しかし、何度も読みたくなってしまう不思議な魔力があるような気がして、自分の好みで選ぶことにしました。「気に入らなければ誰かにあげるなりしてもらおう」と思ったのでした。

 

奇跡その1

友人の子はそれなりに気に入ってくれたようで、絵本の中のいろんなものを指差しては

「これは?」 

と聞いてくる。

 

「猫の目だね。」

「しっぽだね。」

と答えると

 

「ふふふん」と嬉しそうに笑う。

かわいい〜。

 

乳飲み子を抱えながら、友人も「どれどれ」と本を手に取ってめくる。

 

「あ!」

 

友人が小さく叫ぶ。

 

「え?なに?」

 

尋ねると、

 

「この絵、知ってる!」

と言う。

 

何気なく行った国際絵本原画展にこの本の原画が展示してあったのだそう。

 

「うわー、すごいね、って友達と言いながら見てたんだよ!この猫の絵すごい覚えてる!今、ゾワ〜ってなった〜!」

 

えー!こんな奇跡あるだろうか。

絵本の原画展に行っていたことなんて全く知らないし、偶然の一致!

 

原画を見た絵本を持つって素敵じゃない!?

 

奇跡その2

帰路、町田尚子さんを検索してみた。

すると、ちょうど私が本を買った日のツイートが出てきた。

 

その日はちょうど、ネコヅメのよるだったらしい。

  

文明開化と医学の発展を味わう大阪観光スポット

グルメブログじゃないけど、食いしん坊のなる子が、国立国際美術館近くのグルメをレポートするよ 

 

 大阪の国立国際美術館で開催中のクリスチャン・ボルタンスキー展について書きました。

 

www.ma-naru.com

  

最寄駅は、京阪中之島線渡辺橋」、もしくは大阪メトロ「肥後橋」。

 

    大阪人ならわかるでしょうが、微妙な立地。観光やレジャー的には何もなさそうなところなんですよね。周りはビジネス街だし。

 

この川に挟まれた中之島界隈は大阪の経済の中心というか、今の大阪駅よりも発展していた場所なのです。都会のど真ん中であったため、地元の反対により電車のレールを敷けなかったという事情があるようです。

立派な橋が架かっていて大大阪時代の名残を感じるようなところもあったり。

高級なレストランとか も結構あったりするようです。

 

中之島は元々大阪大学医学部があった場所であることをご存知でしょうか。

そう、元大阪帝国大学です。

特に医学については、大阪大学にとって大事な大事な基礎なのです。

 

今はもう吹田キャンパスに行ってしまわれたので、ここに大学があったことなど忘れ去られているような感じですが、国立国際美術館のすぐ近くに、「大阪大学中之島センター」というこじんまりとした建物があります。医学部に跡地に…。

空き地に囲まれた謎の建物。

 

何が行われているのかよくわかりませんが、一般人も入れます。

 

一般人が入る目的は、主に2階にあります。

 

「カフェテリア スコラ」

 

一見普通の食堂なのですが、なめてはいけません。

わざと内装をださくして、素性を隠しているのかと訝しんでしまう、このカフェテリア、リーガロイヤルホテルが経営しています。

 

食券買って出てくる料理。

 

コスパ、最高。

 

 

適塾御膳を頂きました。

 

 

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 「適塾」といえば、そうです。

牛種痘で天然痘予防に尽力した緒方洪庵が開いた蘭学の私塾です。

 

福澤諭吉も入門した特筆すべき場所。

大阪大学の前身と言われています。

 

福澤諭吉の自伝を参考に、御膳メニューになったこちらは1080円。

冬は温泉玉子の小鉢は夏なら素麺になるようです。

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 コーヒー付き。

水曜日ならデザート付き。

ラッキー!

 

ザンギリ頭を叩いてみれば、文明開化の音がする!すき焼き〜!

 

適塾にも行ってみよう。

ここまで来たら、本物の適塾にもいきましょう。 

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大阪淀屋橋駅にほど近い北浜界隈

この北浜あたりは大阪大空襲の戦火をギリギリ逃れた家屋もあったようで、ほぼ焼け野原となった大阪の中で、時折びっくりするぐらい年代物の建物が残っていたりするのです。

レトロ建築の宝庫ですが、一見するとビジネス街。

 

寄り道します!

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ここは私が好きな昆布屋、「神宗」。

創業1781年の老舗です。

ビルの中にはタイムスリップしたような店舗があります。

大坂町人文化の風情を再現したのだそうです。

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 ちりめん山椒が美味しいんですよ。

高麗橋3丁目にあります。大阪土産にぜひ。

 

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大阪といえば文楽ですからね。

 

最初にたどり着いたのはここ。

除痘館記念資料館。

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なるほどー。

 

これ読むだけで満足してしまい、中には入らず。

適塾跡に向かいます。

 

www.tekijuku.osaka-u.ac.jp

 

あれ、おかしいなあ。

外観写真が見当たらない。(汗)

取り忘れかしら。

 

というか、「写真下手くそか」

 

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これが適塾です。…って、おい。

伝わらないことこの上なし。

 

…というわけで、

 

大阪にもこんな風情と歴史を感じる場所があるので、ぜひ行ってほしいのでした。

砂漠の聖者の人生を見よ 〜クリスチャン・ボルタンスキー Lifetime展〜

ボルタンスキーの亡霊が、心の中にずっと住んでいた

フランスを代表する現代美術作家、クリスチャン・ボルタンスキーの大回顧展が大阪国立国際美術館を皮切りに、日本で巡回展示されます。

 

早速行ってきました。と言っても行ったのは1ヶ月前なのですが。

 

クリスチャン・ボルタンスキーはパリ生まれ。

個人の記憶、存在、不在、をテーマに映像やインスタレーションの作品を発表し続けています。

 

なる子が美術を学ぶ学生だった頃、大学の先生から勧められたアーティストの一人がクリスチャン・ボルタンスキーでした。

 

影絵で作った作品の写真を見た私の感想は、

「なんだか子供が作ったみたい。」

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そう思った私の心はあっさり見抜かれていて、「本当にいいアーティストなんだよ。信じて。ぜひ見てほしいよ。」と言われたのでした。

 

毎日必死だった学生時代、自分の作品を作ることで頭がいっぱい。

なんとも狭いところで藻搔いたり七転八倒を繰り返したり、今思い返すと非常に滑稽で中2病よりこじらせていた。自称アーティストの病。

もっといろんな作家の作品に触れ、その内容について学べば良かった。

まあ、そうするには語学力の不足が足枷だったし、正直、日本語も怪しいところがある。やはり凡人にとって学問は並大抵の努力では理解し身に着けることができないのですよ。

 

残念ながら、在学中にクリスチャン・ボルタンスキーの作品をじっくり鑑賞する機会には恵まれず、その名前と作品写真の残像だけがずっと心の中に残っていたのです。

 

ずっと…

 

これはボルタンスキーの亡霊だと思うのです。

 

(※ボルタンスキーは現役のアーティストです。)

 

ついに東京でボルタンスキーに出会う 

初めて個展を見ることができたのは2016年の秋。東京庭園美術館での「アニミタス・さざめく亡霊たち」展でした。

 

写真でしか見ていなかっった影絵の作品など、初めて実際に見て体感し、そこにはない何かの気配を感じました。

 

現在開催中のLifetime展で上映されていたドキュメンタリーで、「遺品から受け取るのは、持ち主の不在というイメージだ」というようなことをボルタンスキーは言っていました。

 

現代の美術館と言えば、白い壁に囲まれた展示室、「ホワイトキューブ」が一般的ですが、庭園美術館は旧朝香宮邸。他者の記憶が残る場所、人が存在した気配がする場所なのです。

そう言った場所で展示をすることにボルタンスキーは意味があると思っています。

庭園美術館は亡霊でいっぱいなんだ。」と。

 


Boltanski interview

 

国立国際美術館で開催中の「Lifetime」展では、多くの匿名の人々の写真が出てきます。まるで祭壇のように飾られていたり、ただ眼差しがふわりとこちらを見つめていたり。確かに存在した個人であるのに、儚く、忘れ去られていってしまう普通の人々。

 

写真には「死」がある。

 

撮ったと同時にその瞬間が終わる。それは「死」を連想させる。

 

そうボルタンスキーは言います。

 

Lifetime、直訳すると「一生」という意味です。

 

クリスチャン・ボルタンスキーの素顔はとても愉快で楽しい人物だということも聞きますが、インタビューを聞いていると、アーティストとしての人生を高潔に生きているような印象を受けます。

本人も、「不可能を承知で死を阻む試みをする。」と言っています。

 

彼の人生は「砂漠の聖者の人生」であると。

 

クリスチャン・ボルタンスキーの人生はホロコーストと結びついています。

日本に住んでいると遠いことのように思うかもしれませんが、ボルタンスキーの作品は、自分の経験のどこかを想起させるものであり、ボルタンスキー自身も、「観客が芸術家となり、作品を完成させるのだ。」と言っています。

 

 

無数の風鈴が揺れて鳴り響いている、という映像作品があります。

雪原に置かれたものと、砂漠に置かれたものと2種類あるのだけど、砂漠の方は、最初砂漠だと思わず、「海岸だ。」と思いました。

そして、3月11日の津波を思い出し、風鈴の音と無数の魂を思い重ねました。

 

「死」思いながら(メメント・モリ)「死」を阻む試みをする。

 

 

全国3箇所巡回展

オススメの展示なので、アートに興味がある方には是非行ってもらいたいのです。

お子さん連れで楽しめるかどうかというと。。。ちょっとどうかな。

 

【大阪】

2019年2月9日(土)ー5月6日(月・祝)

NMAO:国立国際美術館

 

【東京】

2019年6月12日(水)9月2日(月)

国立新美術館 THE NATIONAL ART CENTER, TOKYO

 

【長崎】

2019年10月18日(金)ー2020年1月5日(日)

長崎県美術館