ボルタンスキーの亡霊が、心の中にずっと住んでいた
フランスを代表する現代美術作家、クリスチャン・ボルタンスキーの大回顧展が大阪国立国際美術館を皮切りに、日本で巡回展示されます。
早速行ってきました。と言っても行ったのは1ヶ月前なのですが。
クリスチャン・ボルタンスキーはパリ生まれ。
個人の記憶、存在、不在、をテーマに映像やインスタレーションの作品を発表し続けています。
なる子が美術を学ぶ学生だった頃、大学の先生から勧められたアーティストの一人がクリスチャン・ボルタンスキーでした。
影絵で作った作品の写真を見た私の感想は、
「なんだか子供が作ったみたい。」
そう思った私の心はあっさり見抜かれていて、「本当にいいアーティストなんだよ。信じて。ぜひ見てほしいよ。」と言われたのでした。
毎日必死だった学生時代、自分の作品を作ることで頭がいっぱい。
なんとも狭いところで藻搔いたり七転八倒を繰り返したり、今思い返すと非常に滑稽で中2病よりこじらせていた。自称アーティストの病。
もっといろんな作家の作品に触れ、その内容について学べば良かった。
まあ、そうするには語学力の不足が足枷だったし、正直、日本語も怪しいところがある。やはり凡人にとって学問は並大抵の努力では理解し身に着けることができないのですよ。
残念ながら、在学中にクリスチャン・ボルタンスキーの作品をじっくり鑑賞する機会には恵まれず、その名前と作品写真の残像だけがずっと心の中に残っていたのです。
ずっと…
これはボルタンスキーの亡霊だと思うのです。
(※ボルタンスキーは現役のアーティストです。)
ついに東京でボルタンスキーに出会う
初めて個展を見ることができたのは2016年の秋。東京庭園美術館での「アニミタス・さざめく亡霊たち」展でした。
写真でしか見ていなかっった影絵の作品など、初めて実際に見て体感し、そこにはない何かの気配を感じました。
現在開催中のLifetime展で上映されていたドキュメンタリーで、「遺品から受け取るのは、持ち主の不在というイメージだ」というようなことをボルタンスキーは言っていました。
現代の美術館と言えば、白い壁に囲まれた展示室、「ホワイトキューブ」が一般的ですが、庭園美術館は旧朝香宮邸。他者の記憶が残る場所、人が存在した気配がする場所なのです。
そう言った場所で展示をすることにボルタンスキーは意味があると思っています。
「庭園美術館は亡霊でいっぱいなんだ。」と。
国立国際美術館で開催中の「Lifetime」展では、多くの匿名の人々の写真が出てきます。まるで祭壇のように飾られていたり、ただ眼差しがふわりとこちらを見つめていたり。確かに存在した個人であるのに、儚く、忘れ去られていってしまう普通の人々。
写真には「死」がある。
撮ったと同時にその瞬間が終わる。それは「死」を連想させる。
そうボルタンスキーは言います。
Lifetime、直訳すると「一生」という意味です。
クリスチャン・ボルタンスキーの素顔はとても愉快で楽しい人物だということも聞きますが、インタビューを聞いていると、アーティストとしての人生を高潔に生きているような印象を受けます。
本人も、「不可能を承知で死を阻む試みをする。」と言っています。
彼の人生は「砂漠の聖者の人生」であると。
クリスチャン・ボルタンスキーの人生はホロコーストと結びついています。
日本に住んでいると遠いことのように思うかもしれませんが、ボルタンスキーの作品は、自分の経験のどこかを想起させるものであり、ボルタンスキー自身も、「観客が芸術家となり、作品を完成させるのだ。」と言っています。
無数の風鈴が揺れて鳴り響いている、という映像作品があります。
雪原に置かれたものと、砂漠に置かれたものと2種類あるのだけど、砂漠の方は、最初砂漠だと思わず、「海岸だ。」と思いました。
そして、3月11日の津波を思い出し、風鈴の音と無数の魂を思い重ねました。
「死」思いながら(メメント・モリ)「死」を阻む試みをする。
全国3箇所巡回展
オススメの展示なので、アートに興味がある方には是非行ってもらいたいのです。
お子さん連れで楽しめるかどうかというと。。。ちょっとどうかな。
【大阪】
2019年2月9日(土)ー5月6日(月・祝)
【東京】
2019年6月12日(水)9月2日(月)
国立新美術館 THE NATIONAL ART CENTER, TOKYO
【長崎】
2019年10月18日(金)ー2020年1月5日(日)