なる子の経歴はちょっとだけユニークかも知れません。
夢を追って留学し、海外生活を続けたかったのですが、ビザが取れずお金も尽きて帰国。
フルタイムで働き始めたのは、30歳になってからでした。
ちょっと夢だけでは食っていけないぞ、と焦り、就職してみることになったのです。
子育て系の仕事は、アルバイトでずっとしていた経緯がありましたが、最初のフルタイムの就職は全く畑違いのものでした。
でも、学べばできるような気がしたし、それなりに楽しみにしていたのですが、始めてみると、あまりの仕事のできなさに自分でもやばいと思いました。
それでも、家に持ち帰って自分なりに勉強してみたり、努力はしたのですが、最初は全く仕事に追いつけない状況でした。
この会社の一番きつかったところは、上司が部下に仕事を教えるという習慣がないところでした。どちらかと言うと個人プレーなのです。そしてパワハラ気味の体質でした。
まあ、忙しくて人手が足りないから人を雇っているのに、あれもこれも分からないと言って、いちいちしょーもないことを聞かれたら、イライラする気持ちもわかりますが、イライラをそのまま言葉にぶつけて、「コンビニのレジ打ちでもやってろ!」だの、なんだか色々ひどいことをたくさん言われました。
記憶から消し去りたいので、ほとんど忘れましたけど。
業務内容も、私のスピードでは追いつけない分量で、夜11時まで事務所にいる日も少なくなかったし、裁量労働制という恐ろしい契約だったので、もちろん残業代なんてものはないのです。
契約書類には「フレックスタイムの裁量労働制」だなんて書いてあって、フレックスタイムと裁量労働制は果たして両立する制度なのか、最後まで腑に落ちない内容でした。
今思えば、元上司はどうもメンタル的にいかがなものか、という状態だったし、企業云々もそうだけれど、直属の上司で全てが決まると実感しています。
あの人に「お前はコミュニケーション力が低い。」と言われたこと、今ならそっくりそのままお返しします。
大事なのは上司が精神的に健康であること。
中間管理職だなんて、仕事量も多いし、上からも下からも色々言われて大変だろうな。
今だからこそ、ちょっとは同情もあるけれど、あの頃の私は色々言われて、本当に辛くて死にたかったし、取り繕うようにご飯に連れて行かれても、吐きそう。
契約が切れるタイミングでおさらばしました。
救われたのは仕事関係で知り合った人たちが、私が辞めるときに、とても残念がってくれたこと。
もう一つ財産となったのは、膨大な仕事量によって、WordとExcelのスキルが上がったことです。
PhotoshopとIllustratorはちょっと使えたので、パソコンの操作くらいなんとかなると思っていたけれど、これも隣のデスクの人に聞いたら教えてくれる、というような環境ではなかったから、ほぼ独学で効率の悪い覚え方だったと思います。
逃げるように、別の街で再就職したわけだけど、プライドも自信もズタボロになっていました。
再就職
ブラック企業では契約社員だったから、人生一度は正社員になってみよう、と決意。
会社員なんかを経験しなくても、ひとりで生きていける人たちもたくさんいるけれど、私はそれも見通しが立たない状況だったので、「正社員になるなら、ギリギリの年齢かな。」と思い、就職活動をしたわけです。
入社したのは子育て系の会社だったわけですが、安月給でも気楽に平社員として働こうと安易な気持ちでした。面接でも、そういう話だったと思うのです。「数年くらい先にはねー、キャリアアップしてもいいけど。」みたいな。
ところが、入社後、速攻で与えられたポジションが、放課後児童クラブの室長でした。
パニックです。
近い業態でアルバイトしたことはありましたが、放課後児童クラブで働いたこと、1日もないのに。
泣き喚いてみたりしましたが、どうしようもないので、いろんな人に助けてもらいながら、なんとかしてきました。
ここで初めてのことがあったのです。
『チーム作りと職員の育成』
まさかの右も左もわからぬ新卒社員も抱え、チームリーダーになるとは…。
若い社員に仕事を教えたり、指導する場になり、気づきました。
ブラック企業時代に私が望んでいた指導をすればいい。
新人ちゃんが仕事ができないことでイライラするのは時間とエネルギーの無駄。
一番の目的は、「新人ちゃんが仕事できる子になる」ことなので、怒鳴りつけたり叱り飛ばしたりすることは遠回りすぎる。
丁寧にわかりやすく教えること。その人に合ったやり方で。
知らないことがあるのは当たり前で、知ればいいだけの話。
「そんなことも知らないの?」はNG。
新人ちゃんが出来なかったら、上司の責任。
教え方、伝え方がまずいのです。
そんな、いつも考えていることを、ぐわぐわ団さんがそっくりそのまま書いてくれていました。(無断でリンク失礼します)
怒鳴られていた私が言うので間違いないと思いますが、怒鳴られていると、自信がなくなり、卑屈になり、苦痛になり、辞めたくなります。
失敗したり、うまくいかなかった時は、一緒に改善策を考えれば良いのです。
そして、子育て系の仕事の人たちはパソコンなどの機械が苦手な人が多い。
急ぎの仕事は自分がやればいいし、必要なことは教えればいい。最初はゆっくりでも覚えてしまえば仕事は早くなる。
教える手間はちょっと大変かも知れないけれど、長い目で見れば仕事が楽になるのです。
もう一つ、心がけたことがあります。それはホワイトな現場にすること。
合言葉は「明日できることは、明日やる。」
よっぽど緊急を要することでなければ、置いてとっとと帰ります。
同じ会社でも、現場のボスの采配によっては残業まみれであると言う噂も聞きました。
また、ボスだけが一人残って仕事をしているという話もよく聞くのです。
私も一人残らざるを得なかった日はありましたが、残業に他の人を巻き込まないように心がけていました。
低い給与で生活は皆大変だから、残業代のためにもっと働きたい子もいるかな、と思ったことがありますが、今の若い子に「どちらがいい?」と聞くと「帰ります。」「休みます。」と、残業代より休息を求めることがほとんどです。
有給休暇も率先して取りまくります。「ねえ、あなたも取らないの?取れる時にとったほうがいいよ?」と部下に迫ります。「万が一のためにキープしておきたい。」と逆に断られたりします。
自分は有給休暇を月に1日は必ず入れるぐらいの勢いでシフトを作成するので、多少時間外労働があっても純粋な所定労働時間を超えることはまずありません。
限られた時間内で業務を終わらせようと必死になるので、とても効率がいいです。
結果、周りの人に助けてもらっている感謝しかない
ブラック企業でしてもらえなかったことを一生懸命やろう、と頑張ってきましたが、所詮、自分自身もいっぱいいっぱいの中でやってきたこと。
ここまで自分がやってこれたのは、みんなの支えがあったからこそ。
感謝しかないのです。感謝。
後輩からもらった言葉
私が「育てた」ということになっている後輩たちは、あちこちで、現場のリーダーになっている人も多く、頑張っているようです。勝手に育ったようにも見えますが。
最近は、
「現場のリーダーになって、なる子先生の凄さがわかった。」
と言ってもらったり、
「〇〇さんが、もう一度なる子先生と同じ現場で働くことができるようにどんなことがあっても耐えて頑張る、と言っていました。」
と噂を聞いたり。
そんな風に思ってくれて、ありがとう。
ホワイトな現場は、自分たちで作っていけるのだ、と確信するのでした。
お給料のこと以外はね。