なる子とマーナル☆

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子どもは不完全な大人②「日本は子どもの天国」

 

おさらいと補足

先日「子どもは不完全な大人①」という話を書きました。

キリスト教文化の中で、子どもたちは長く「不完全な大人」として扱われていた、という内容です。

徐々に子ども時代とはかけがえのないもので、子ども時代に合った遊びや教育が必要であると世間が変わってゆき、児童文学などの子どもの文化が花開いたという結論でした。 

ma-naru.hatenablog.com

当時の大人たちも本当は、子どもの時に「どうして本って面白いものがないのかしら?」とか、木の登って叱られると、「大人って楽しいことを知らないのかしら?」とか、いろいろな疑問を持っていたんじゃないかな、と思うのです。

 

その疑問を持ち続けていた人たちが、新しい哲学や時代の変化の中で、「子どものころに本当はこういう本を読みたかった!自分の子どもにはより良い世界を生きてほしい!」そんな、より良い世界を次の世代に橋渡ししたいと願う大人たちの力で西洋の児童文化は急速に厚みを増していったのではと思っています。

 

では、日本の子どもたちはどのように生きてきたのでしょうか。

 

古代日本における子ども

残っている資料から、子どもがどのように暮らしていたかを推測するのはとても難しいようです。

しかし、民俗学などの観点から、子どもは神様や霊的なものと接触を持ちやすい存在と考えられていたのではないか、という人がいます。

代表的なものが「神隠し」でしょうか。

祇園祭で注連縄を切る(神様の世界と人間の世界の境界を切る)役割が子どもであることも、日本人のプリミティブな感覚から生まれたものかもしれません。

 

そう言えば、子どもの時には不思議な力(霊が見えたり)があっても、大人になるといつの間にかなくなっちゃう、という話、よく聞くような気がします。

 

捨てられる子どもたち

昔、日本では養いきれない子どもや赤ん坊は、捨てられる、ということがよくあったようです。

孤児を収容する施設もあったようです。光明皇后が設立したと言われています。かの聖武天皇の妻です。

 

光明皇后の偉業伝説】

聖武天皇と一緒に大仏建立

聖武天皇が亡くなった時にお宝遺産を東大寺に奉納→正倉院の始まり。

・施薬院では私財を投入し薬草集め

悲田院では貧しい人を救済

・施薬院悲田院で孤児を受け入れ

 

…眩しすぎて見えない。

もう観音菩薩様が姿を変えて現れたのでしょうね。

 

と、このような話もありますが、捨て子は増える一方。

もしかしたら、という一縷の望みで人通りの多い道とか、お金持ちの家の前とかに置いていく人も多かったようです。

 

もう堪らん、親の情はないのか!と867年には捨て子禁止令が出たとか。

 

おふれを出すのは役人ですから、お金持ち側の意見なのです。

 

庶民の暮らしは本当に本当に厳しかった。貧しくて貧しくて子どもを育てることができなかったのです。一部の貴族だけが裕福な暮らしをしていたのです。

室町時代、日本の農業に革命が起きるまでは!

 

日本の農業に革命をもたらしたのは鍬(くわ)だと言われています。

鉄の値段が下がり、庶民が鉄製の鍬を持てるようになり、格段に作業能率が上がったのです。庶民の暮らしは豊かになっていきました。

これにより、地方でも力を持つ者が現れたり、農村にも少し余裕のある生活が生まれたそうです。

 

浮世絵に見る江戸時代の子どもたち

江戸時代の浮世絵を見てみると、遊びに興じる子どもたち、相撲大会の様子、寺子屋で学ぶ姿などが見られます。

 

とても表情豊かに描かれているものがたくさんあります。

寺子屋の様子については、整然と並んで勉学に励むエリート塾のような寺子屋から、先生にいたずらを仕掛けたり、つかみ合いの喧嘩をしているような「無法地帯かよ!」と突っ込みたくなる庶民派寺子屋まで、様子は様々です。

男女別だったり共学だったり。

庶民の寺子屋は、地域の大人がボランティアの精神で兼業先生をしていたようです。

コミニティで子どもを育てる、という考えが日本全国にあったのですね。

 

寺子屋、その数全国合計1万5千以上あったと言われています。

文部科学省による、学校基本調査によると、2018年度の公立国立私立の合計小学校数は19892校。

 

そんなに大きく変わらないように見えます。

 

当時の識字率の高さ、明治に小学校制度が誕生してその整備が早かったのも寺子屋という基盤があったからに違いありません。

 

アメリカ人生物学者、モースが見た日本「日本は子どもの天国」

大森貝塚で有名なモースという学者を知っている人は多いと思います。

教科書で見て名前だけは知っている。という人もいるでしょう。

専門は腕足動物進化論賛成派

明治10年、研究のために来日し、東大の教授に就任。当時外国人教師と言えば宣教師ばかりだった東大で「進化論」を熱弁し、対立しまくっていたようです。

 

そんなモースは親日家、だったと言います。

 

電車に乗って横浜から新橋に移動中、車窓から大森貝塚を発見したというモース。

その「気づき」の鋭さに、モースの友人は「大事な時間を腕足動物なんかに費やすな。日本人の方が虫よりも高等な有機体だと思わないか。これは消滅しつつあるタイプで、その多くはすでに完全に地球の表面から姿を消し、我々は最後の目撃者であることを忘れないでくれ。あと10年もすれば、私たちがかつて知っていた日本人はべレムナイツ(化石でしか残っていない生物)のようにいなくなってしまうぞ。」と理系ジョーク?のような手紙を送ります。

 

それまで、「この国の風景は『土佐日記』(平安時代)に描かれているそのままだなぁ」と思っていたモースは重大なことに気づかされて、それまで書き溜めていた日記やスケッチをまとめることにしたのです。

 

それが、「日本その日その日」

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(お高いですけれど、ケース付きで装丁も美しい〜。)

 

当時の日本人の生活や文化がモースの温かな視線で生き生きと描かれています。

その中に、日本の子どもについての記述がありました。

 

いろいろな事柄の中で外国人の筆者達が1人残らず一致することがある。それは日本が子供達の天国だということである。この国の子ども達は親切に取り扱われるばかりでなく、他のいずれの国の子ども達よりも多くの自由を持ち、その自由を乱用することはより少く、気持ちの良い経験の、より多くの変化を持っている。

(『日本その日その日1』、東洋文庫171)

 

また、「日本は確かに児童問題を解決している。」とも書いています。

「子ども達はニコニコしていて、行儀がよく、親切で、母親は辛抱強く、愛情に富み、子どもに尽くしている。」と。

 

「子どもの発見(子供時代という概念の誕生)」をしたばかりの西洋人にとって、日本の子どもの姿、親の姿勢は、児童問題解決の答えのように見えたのかもしれません。

 

現代の日本で子ども達の為にできること

モースは大人になっても子供の年齢の友人がいて、ガキ大将のように遊んでいたと言います。

その姿を想像すると、全力で子ども達と遊んでくれている、放課後教室の職員の姿と重なりました。

 

子ども達のかけがえのない子ども時代を、周りの大人が温かく見守っていけたらな、と改めて思うのでした。