今週のお題「これに影響を受けました!」
下書きに入れてたら先週のお題になっちゃった
現代アートの人ははてなよりnoteを使っていると思うのですが、紆余曲折あって、はてなに工作ブログなんかを書きながら現代アートにちょっと関わっている、なる子です。
そっちの関係者は誰も辿りつかないはず、という安心感から、今回は、自分がどのようにアートと出逢いながら、今まで生きてきたのか、何に影響を受けてきたのか、長文になりそうですが書いてみたいと思います。
美手帖の編集長が炎上しちゃった!
というのも、最近、美術界隈で炎上しちゃったツイートがあるんですよ。
『美術手帖』っていうアート専門雑誌の編集長さんなんですけど、「巨大なイオンモールだけが煌々と明るい地方都市に帰省すると、美術の「美」の字も見つけられない。」と呟いたんですね。
これが地方をディスってると捉える人が多く、反応がたくさんあったようです。
「気持ちわかる」という人もいれば、「美術手帖の編集長には言ってほしくなかった。地方にもアーティストはいる。」みたいなね。
炎上を見て、編集長は、「もう少し丁寧に言おう。私はイオンモールしかない土地に育ち、「美術」というものを知らぬまま故郷を出た(私の家族は今も美術になんの関心もない)。東京という街、美術業界のど真ん中で生活していると、そういう場所への眼差しをつい忘れてしまう。いわば自省である。」と追記しています。
まあ、そういうことなんでしょうけど。美術手帖って昔からアート構文というか、そもそも現代アートには学問の面が多分にあり、哲学やら美学やらと密接な関係にあるので、この界隈の人たちって、他を寄せ付けない言葉遣い、特に文語の時にしがちなんですよね。そのせいか、少し偉そうな文体になっちゃうので、以前から、「あんまり正直に日常のことを色々呟かない方が美術手帖のためになるのでは…」と思ったりしたこともありました。田舎ディスだと思った人が多かったのは文体のせいかも。
しかし、今回の炎上でめっちゃ興味が湧いてきました。
この人、どこで美術と出会ったんだろう、と。
編集長は京都の有名私大を出ているそうで、妄想が膨らみます。(わかってる。勝手なことを言ってはダメだってことは。)
地元を離れるまで「美術」の「美」もない街にいたそうなので、「絵が好きで画家になりたかった」というわけでもなさそう。普通に優秀で、進学は東京か名古屋か京都か大阪の有名大学、という自然な流れだったのかな。
京都は美術系の大学がたくさんありますから、もしかしたら学生時代に美術系の友人ができたのかもしれません。京都はどの地方から見ても、歴史・文化・芸術の厚みが桁違いなので、それだけでカルチャーショックを受けるかもしれません。
学生が多く、さまざまなトピックで議論する学生の街の文化があるのも京都の特徴かもしれません。とってもとっても楽しいんです。
私、編集長とは年齢がそんなに離れていないので、同じ時期に京都にいた可能性は十分あります。京都は芸術の街ではありますが、現代アートの存在感は京都の街中では当時そんなになかったと思います。現代アートの作家はいるけど、あんまり売れたりするようなものではなかったんじゃないかなー。(まあ、今も京都は売れにくいと言われているが。)バブルも崩壊し、作品が売れない。時代の移り変わりの中、これまでの売れ筋みたいなものがダサくなってきていて、インスタレーションや形のないアートが生まれ、ただしそれに対する金銭的なサポートもまだまだ少なかった。京都って現代アートの美術館、当時なかったかも…。ギャラリーはいくつかあリマスが。
とすると、その後上京して社会人になり美術系の出版社に勤めはじめてからが本気の出会いかもしれません。著名なアーティスト、白熱する評論家談義、華やかなアートマーケット、海外出張…広がる世界…!!美術手帖は日本現代アート界の情報の中心地!ではある!
普通に第一線で活躍されている方に囲まれて働いているということ、とても羨ましいですけど、もしかすると上京組として私と同じことを思ったのかもしれないな、と。
「東京にいると、生まれた時から美術と生きているアート界のエリートが山ほどいる。彼らはそれを全然特別なことと思っていない。」
これは私が思ったことです。
正直少なからずショックだったことでもあります。
縮まらない格差があるように感じることもあります。
こういうことは、美術の世界だけでなく、スポーツやあらゆる学問、エンタメで思うことがある人たちはたくさんいるのではないかと思います。育った土地ガチャ…ですかね。もちろん、東京にいくら美術館やギャラリーがたくさんあったとしても、どんなにお金があっても、アートと無縁の暮らしをしているよ、という東京人もいるとは思いますが。
地方の人間が必死で情報をかき集めても届かなかった生のアートが東京では当たり前のように繰り広げられていたわけです。
私が学生だった頃はインターネット社会前夜…世の中にはとんでもない格差があるよ、という、そんな情報もなかなか入ってこなかったのです。
そんなわけで、自分自身が何に影響を受けて、ここまでやってきたかを考えたんですよね。人生を振り返ったんですよ。イオンモール系の地域ではないですが、大阪の中心都市にありながら、マジで美術の美の字もないニュータウンで私は育ちました。イオンモールもない街。
それどころか、土地の記憶もない場所です。
つまり、神社も寺もないし、歴史もない。お祭りも盆踊りしてるだけのフェイク。
図書館もない。ギャラリーや美術館ももちろんない。
公営団地と分譲マンションしか建たない土地で育ちました。
皆、同じような間取りに住み、同じような生活水準なわけです。
地元の幼稚園小中学校に行ったので、同級生に一軒家に住んでいる人は一人もおらず、住居の多様性もありません。東京だと多摩ニュータウンみたいな感じ?
地主ファミリーみたいなのがおらず、産業もなく、商店も少ししかなく、信号もない。ないもの尽くしですが、走り回れる公園だけはありました。子ども時代は公園があれば十分な幸せですよね。ないものに気づかなかったです。
少女漫画大好き少女
絵を描くのは小さな頃から大好きでした。父親が芸術好きなので、たくさん褒めてくれたのだと思います。私は特に漫画が大好きで、月刊誌『りぼん』買うこと、それを読み漁ること、その絵の模写をしまくることが人生の全てでした。同級生からも褒められて、天狗になり、「私は絵が上手い」と思っていました。
(当時のイラストを見返すと、まあまあだけど、特別な才能は感じないです。)
鉛筆を走らせている時が、何より幸せ。漫画大好きなまま、中学に入り、美術を大して知らないまま美術部に入りました。
中学の美術部では小学校の図工に毛が生えたようなものしか作っていませんでしたが、現代アートにつながるような経験が中学の時にあったのです。
私たちの街の近くに巨大な複合商業施設が完成したのです。
イオンモールではありません。行政が絡んだ施設で、幕張メッセのようなイベントができるようなホールがあり、恐竜展とかトミカ展とかが開催されていることがあります。
そこに、期間限定のイベントで「大阪近代美術館(仮)コレクション展」というのが開催されたのです。
父親は芸術大好きで、美術館や美術展に連れて行ってくれたことはありましたが、多分、ちょっと古いものが好きだったのだと思います。西洋絵画だとセザンヌ、ピカソくらいまで、みたいな。このコレクション展に連れて行ってくれたのは中学の美術の先生でした。美術部の顧問です。部活で行ったのではなく、校外学習で行きました。やんちゃな子も多い中学校で、よく集団で行けたなと今思えば怖くなりますが、授業で行ったのです。この「大阪近代美術館(仮)」というのは現在の「中之島美術館」のことです。大阪には、大阪市立美術館がありますが、ここは近代以前の古典的な美術展を軸としており、大阪近代美術館(仮)は近現代のアートをターゲットにコレクションを始めたものの、箱がない状態が何十年も続いた経緯があります。
時々倉庫から出して、市民に還元していたのですね。その展示会場に近所のホールが使われたのです。
モディリアーニや佐伯祐三の作品があることが目玉で、マグリットなどシュルレアリスムの絵画もあり、またジャスパー・ジョーンズとか、フランク・ステラとかアメリカンアートの大きな抽象画も持っていて、近代アートを一通り見て回れるような、なかなかのコレクションだと思います。
「日曜美術館」で見たことがあったモディリアーニぐらいしか知らなかったコレクション展。しかし、現代アートへとつながる、近現代アートコレクションとの出会いは、よくわからないものでありながら、強烈な印象を私に与えたと思います。
コレクション展に連れて行ってくれた先生に、今思えば感謝ですね。
絵を描くのが大好きな少女でも、それまで美術に出会ってないと内容はさっぱりわかりません。このブログで何度か書いていると思うのですが、美術を楽しむためにはある程度の知識があった方がいいのです。
例えば日本のお城に遠足に来たとして、大きなお城は立派でかっこよくて好きだけど、戦国時代とかに詳しい方がもっと楽しめると思うでしょう?
知識はないけれど、色々見た!まだまだ井の中の蛙です。
高校で進路を考える
普通科の高校に進学しました。なんとなく進学校に行きたくて、成績ギリギリで合格したものの、周りが賢すぎて授業には全くついていけない高校生活でした。大阪には美術が学べる高校はいくつかあるのですが、まずは普通に勉強してから芸術系の大学に進もうと決めていたのですが。勉強も大した才能がなかったんですよね。
東京の美術のエリートたちは中学から美術系に行って、絵の技術を学んでいるとはつゆ知らず。バカな私は絵は才能だから、技術を学んでもしょうがないと思っていました。バカだから…。
「モネが一番好き」という完全にメディアに踊らされ形成された大衆的なアート好きに育っていた私に、高校の美術の先生は「どうしてこれがアートなの?」という本を貸してくれました。
そこには、中学の時にコレクション展で見たアーティストの作品について書かれていて、初めてちょっとアートを理解しようとするきっかけをもらったような気がします。しかし、頭の固い私はまだ「アートなんて、見て好きか嫌いかやろー!」という、まだまだ理解には遠いような認識でいました。
本では「これはなんだろう、君はどう思う?」と考える知恵を与えていたはずなのに、受け取れず、なんとなく「いい本だったな」と思っただけだったと思います。
そして気づき始めていました。「どうやら現代アートは私には難しいみたい。」と。
今なら「そんなことないよー!楽しいよー!!」と言えるのですが。
現役で合格してしまった
芸術系の大学に現役で合格してしまいました。高3から始めた受験デッサンに苦しみ、現代アートのことなんか知らないまま、現役合格してしまいました。
東京に比べて関西の芸大・美大の倍率は低いのです。それでも8倍あったから、受かったのは奇跡としか言いようがない。
現代アートを知らないから日本画科に進んだのに、絵の才能もない上に、現代アート面白そう!という短絡的な考えで、卒業後、ロンドンに美大の美術学部に留学しました。そして大学院には落ちて進めませんでした。
東京に空がない 大阪にアートがない
「智恵子は東京に空がないといふ」と詩を詠んだのは、日本美術界のスーパーエリート、高村光太郎ですが、ロンドンから大阪に帰国した私は「大阪にアートがない」と言い続けていました。
正確にいうと全くないわけではないのですが。
戎橋にあったゴリゴリの現代アートが見れるキリンプラザ大阪はいつの間にかなくなり、良質な企画が多かった天保山サントリーミュージアムは、サントリーが手を引き、イベント会場みたいになってしまった。
アートは、ビジネス側に取り込まれてしまい、金儲けしたい臭が酷くて、アートの良さ・楽しさが伝わらない。
国内にいるなら東京の方がまし、と東京に来て、今に至りますが、「放課後教室の先生」というアートから離れた福祉の場所にいたこともあり、完全に一度アート音痴になりました。
ずっとアートを続けて生きている「東京に実家あるアーティスト」を羨ましく思うことも多々あります。どんな家に生まれるかも、持って生まれた才能と言えるかもしれません。その才能に嫉妬することもありますが、コネはなくとも精神的なサポートをしてくれている両親には感謝しています。
もしかしたら、私の人生に大きく影響した画家の一人が田中一村かもしれません。
奄美の風景を描いた日本画家として有名な一村ですが、まずとても美しいので見ていただきたいです。そして超絶にうまい。めちゃめちゃ上手いのですが、時代の波に乗るのが下手だったのか、晩年までなかなか高い評価を得られなかった画家です。
絵に描いたような貧乏画家なのですが、描きたいものに没頭し、絵に生涯を捧げた人です。
兄弟とか親戚がずいぶん助けてはくれたようです。
世渡りは下手でも家族に支えられ、貧乏しながら描き続きた。ゴッホみたいにちょっと変人みたいなエピソードは全くなく、普通に真面目そう。愚直でも描き続ける、その原動力ってなんなんだろうな。
見合いを破談にし、紬工場で働きながら、描き続ける、作り続ける、執念のようなもの。
才能も運もそんなになくても執念なら私も持ち続けることができると思っています。
ま、たぶん、浄土真宗なんで。
お盆の習慣がないんですね。
ご先祖様は極楽浄土で楽しくやってらっしゃるのでこの世に未練なく、お盆に帰ってきたりもしないんだそうです。へえ、そうなん?貧乏人には大変ありがたい宗派です。
私もお盆は帰省せず、帰りたい時だけ帰ります。
まあ、だから、編集長のツイートは情緒があるな、と思いました。
盆とか年末年始に東京から帰省して、「やだ!地元ダサくて恥ずかしい!」って思っちゃえるのも、日本の文化だな。
現代社会では何に影響を受けるのか
美術家になるにはそんなに恵まれた環境じゃないにもかかわらず、美術の道に進んだ私。情報が少なすぎて、勘違いすることができたからこそ、ここまで来ちゃったのかもしれません。今や入ってくる情報に打ちのめされる日々。アートを語る人はめちゃくちゃ賢くて、才能のあるアーティストが山ほどいて、自分の存在を無価値に感じることもあります。
でも、しがみついて、現代アートに関わっていきたいと、今回の件で改めて思いました。
情報を味方につければ地本出身でもチャンスはある。
情報に溺れてしまうと、東京にいても沈んでしまう。
大人になれば、これから何に影響を受けるのかの方向性をある程度選択できると思います。
まだまだ頑張らなくては。
ひとまず、長くなった自分語りはこのあたりにしておいて、また次回は工作ブログに戻るかな?