今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」
と言うことなのだそうで、おばあちゃんのことを書いてみようと思います。
先日、Twitterのタイムラインを見ていると、終戦直後の写真に自動色付けされたものが目に飛び込んできました。
戦争で弟を亡くした祖母が、その話を決してしてくれなかったことを思い出しました。祖母に弟がいたことは父から聞いたのです。どこかの島で亡くなったと。こういう写真見るとこの人がそうなんじゃないか、とか思ってしまいます。
— ま〜なる (@manaru57257221) 2018年9月15日
73年前のものなんだそうです。
カラーで見るとより一層、迫ってくるものがあります。
戦争は私たちにとっては歴史の一部となってしまっているけれど、カラーで見ることで、現代と切り離したものではなく、続いているものとして認識できるような気がします。
で、Twitter初心者の私が、思わずコメントしてしまったのです。
思いがけず、いろんな方に「いいね」や「リツイート」いただきました。
明治生まれの祖母はもう亡くなっているけれど、明治、大正、昭和、平成の4時代を生き抜いた女は強いな、と感心するほど長生きでした。
私は祖母のお葬式に参列できませんでした。
両親にも経済的に無理をしてもらって留学中だったので、渡航費がなかったのです。
祖母はベッドから出るときに転んで骨折してしまい、入院生活に入り、そして亡くなった、ということでした。
一番年上のいとこのお兄ちゃん、つまり祖母にとってはかわいい初孫ですが、お兄ちゃんが入院中の祖母の元に彼女を連れてお見舞いに行き、結婚の報告をしたそうです。
ちょっと遅い結婚でした。
祖母はとても喜んでくれたそうです。
間もなくして祖母は亡くなりました。大往生だったと思います。
お兄ちゃんは、「おばあちゃん、僕の結婚、待ってくれてたみたい。」と言っていました。
祖母から聞いた戦争体験
小学校5年生か、6年生ぐらいの時だったと思います。
夏休みの宿題として、親戚に戦争の記憶がある人にその体験を聞いてくること、というのがありました。
祖父は私が幼稚園の頃にもうすでに亡くなっていました。気難しく、体の弱そうな人でした。
祖父は戦争に行っていない、ということは幼い頃に聞いて知っていました。
体が弱く、徴兵検査で戦争に行けない、と判断されたのだそうです。
ちなみに、先祖が築いた米屋を潰し、商売を何回も変えた人です。
祖母は小さな島で畳屋を営む家に生まれました。遊びが大好きな女の子で、食べることが大好きだったそうです。
祖母のお父さんは、島で畳の修繕の仕方を無料で教えてしまい、商売が成り立たなくなって街に出てきた人でした。
祖母は、米屋なら食いっぱぐれないだろう、とお嫁に出されたそうです。
嫁いだ先は生真面目で、気難しい一家。かるたあそびをしない生活に驚きと苦しさを覚えながら、祖母は生き抜いたようです。祖母は楽しいことが大好きなのです。
「戦争の時のこと、教えて。」と言うと、困ったような顔をしていたような気がします。
「なんにもないよ。戦争中よりも、そのあとの方が大変やったよ。」
ちょっとはぐらかすような祖母。
「それでもいいから教えて。宿題だから。」
とお願いすると、ポツリ、ポツリ、と話してくれました。
初めての大空襲の日、街のあちこちに焼夷弾が落ちたこと。それは空中でバラバラになって、あちこちを燃やしていったこと。(いわゆるクラスター爆弾だと思う)
家の周りも焼夷弾が落ちたけれど、一番近くに落ちたものは、空中でバラバラにならず、そのまま落下し、偶然井戸の中にそのまま落ちて、不発だった為、家は燃えなかった。
だけど、この空襲で、ここにはいられない、と判断し、家財を手放して疎開した。
道中、あちこちに死体の山があった。
戦争が終わってから、街に戻った一家。幼い子どももいた。(私の父の兄たち)
戦争の混乱で貸していた家がなくなった。(土地の所有権は持っておらず、別の家族が占拠した為)
貧乏で、闇市で食べ物を手に入れ、毎日生きることで必死だった。
「特別なことなんてない。みんな貧乏だったから。」
おばあちゃんの話は、戦争の怖さの中にも明るさがある。
「爆弾が井戸に落ちてラッキー」みたいな。
小学生の私は、「お祖父ちゃんも戦争に行かなくてよかったし、みんな生き残って良かったな〜。強運だな〜。」と祖母の話を聞いて思ったのでした。
そんな祖母の話を家でしていると、父が教えてくれたのです。
「おばあちゃんには弟がいてな。とっても優秀な人だったらしいよ。おばあちゃん、弟のこと大好きだったみたい。旧制中学に通ってたって。普通の家庭の優秀な青年は戦争の最前線に送られてしまう。まだ若かったのにな。」
え…!
おばあちゃん、弟いたの。知らなかったよ。
戦争の話、聞いても、教えてくれなかったね。
ちょっと困った顔してたよね。
おばあちゃん、本当に辛かったことは、言葉にできないよね。
一家が生き延びた話だと思ってしまった私…バカ!
思い出す笑顔
祖母とは、あまりにも歳が離れすぎていて、とっつきにくい所もあったけど、思い出すのはしわしわの笑顔。
一緒に百人一首した時、とっても楽しそうだった。
ちょっとお酒を飲んだ時、桜色のほっぺがかわいかった。
長生きだった祖母は「お友達が次々死んでしまう。」と悲しそうに言っていた。
生き抜く強さと、生き残る心細さ。
祖母を思い出すと、時々涙が出てしまいます。