キャラクターものは子どもに与えたくない母親vsアンパンマン様
シンプルでお洒落、花のある豊かな生活を目指していた友人は、海外生活が長いこともあってか、「子どもが生まれても、キャラクターものは与えない。」と豪語していたのです。
ところが、赤ちゃんを産んでしばらくしてから、「アンパンマン教の布教活動から逃れることは不可能。」と少し疲れた表情で言い出したのです。
ご実家で過ごしていたある日のこと。
ハイハイを始めたベイビーから、鈴の音がすることに気づいたのです。
手首につけるタイプのガラガラ。
おばあちゃんが、こっそり悪気なく、勝手につけてしまっていたのです。
実の母親だから、遠慮なくクレームできるものの、聞く耳持たず。
これがアンパンマンとのファーストコンタクトとなったのです。
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更には義理の妹が、「お義姉さん、うちの子大きくなったから、差し上げます。」とくれたのが、デカデカとアンパンマンと仲間たちがプリントされた赤ちゃん用の毛布。
いくら親が拒否しようとしても、どこからともなく現れるアンパンマンと、確実に虜になっていく娘の姿に無力感を感じるとともに、アンパンマン様の偉大な力に頼らざるを得ない日々がやってくるのです。
「保育園イヤ!」の日もアンパンマン様と一緒なら行ってくれるし、アンパンマン様と一緒ならぐっすり眠れる。
お誕生日にはアンパンマン様の聖地に連れて行けば、教祖様ご本人(?)に抱きしめられ、終始ご機嫌。
アンパンマン様の偉大なお力を感じざるを得ないのです。
ああ、赤ちゃんの神様。アンパンマン…
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小学生にとって、アンパンマン好きは黒歴史
ところが、小学生くらいになると、「アンパンマンは赤ちゃんのもの」という意識が高くなるのです。
アンパンマンせんべいをあげようとすると、「うげー、赤ちゃんだよ。いらない!」とか強がったりします。
一周回って、「私、プリキュアとか興味ないし。それだったらアンパンマンの方がマシだしー。」と、気取って言う女の子もいます。
こういう子は本当はプリキュアが気になって気になって仕方ありません。
「別に。俺、このせんべい好きだし。」と、友達の手前、あくまでもアンパンマン好きとは言わない男子もいます。
そう、あんなに夢中になり、お世話になったくせに、アンパンマンが好きだったことは小学生にとっては黒歴史。
「私たちはアンパンマンを卒業したのだ!」
小学生としての自信とプライドを作るのが、アンパンマンとの決別という儀式なのです。
アンパンマンもバイキンマンもかわいい
子供時代、アンパンマンは絵本でもアニメでもかすりもしなかったなる子ですが、大学生になって、母親と近所の商業施設をぶらぶらしていた時に、ふと目に入ったアンパンマンのおもちゃに引き寄せられたのです。
ゼンマイで走る、小さなおもちゃなのですが、その動きを見た瞬間、手が離せなくなっていたのです。
母「欲しいの?」
私「…ほしい。」
母「…。」
私「…。」
母「買ってあげようか?」
え…?
成人したばかり。哀れな娘だと思ったのか、買ってくれたのがコレです。
あ、ノーコメントで大丈夫ですよ。
このカタカタ揺れるバイキンマンの動きに癒されるわ〜。
アンパンマンのマーチに泣く
嗚呼、思い出した。
前述の「シンプルでお洒落な生活」を目指していた友人も、思い返せば学生だったあの頃。
共に笑い、共に苦しみ、かけがえのない青春を送っていたあの頃。
着メロが「アンパンマンのマーチ」になっていたので、何事かと尋ねると、
「アンパンマンのマーチの歌詞が深くて泣けるから読んで。」
と、 マジなトーンで勧めてきて、半ば反強制的になる子の携帯の着信音もアンパンマンのマーチに設定させられたのでした。
そうです。アンパンマン様から離れるなんてそもそも無理なのです。
歌詞は、今読み返してみても、ぐっとくるものがあります。
こぼさないで涙と言われても泣いてしまう。
アンパンマンはすべての世代にそっと寄り添ってくれる。
やさしいみんなの味方です。