アンパンマン受難の時代がやってきたのでしょうか。
アンパンチが子どもの教育上良くないのでは、と論争されているそうです。
東京のとある下町のお寺の前にはバイキンマン様が鎮座しておられます。
パッと見た感じでは、バイキンマンしかいません。
この横にはかわいい幼稚園バスが駐車しているのですが、なぜ、アンパンマンではなく、バイキンマンだったのか。
なぜ、を考えると深い。
「アニメの中では悪さをしてアンパンチされてけれど、良い子の君たちはむやみにアンパンチしないんだよ。みんなでバイキンマンの像を大事にしようね。」
「バイキンマンはどうしていたずらしてしまったのかな?」
と、子どもたちに語りかけるきっかけになるかもしれない。
泣いて登園をしぶる子どもに、
「バイキンマンの幼稚園行こう」と言えば気持ちが切り替わるかもしれない。
バイキンマンって嫌われてはいないんだな。
運営側としては、
「石屋の在庫がバイキンマンしかなかったから。」
と答えるかもしれない。
なんだか気になるバイキンマン。
過去記事にアンパンマンのこと書いた記事があります。
大人もせいぜい「アンパンチが教育によろしくないって思う心は、どこから来るんだろう」って考えればいい。
パンチでない方法で解決しようと思うと、1話完結は難しいな。言葉で解決するって難しいし、時間がかかることなんだな、って気づけばいい。
アンパンマンの本質はアンパンチじゃないから、アンパンチがなくなることもあり得ることかもしれない。
もし、アンパンマンがアンパンチを使わなくなったとして、アンパンチのないアンパンマンを見て育った子どもたちから、アンパンマンはどんなことがあってもパンチじゃない方法で解決するのに、大人は戦争するの?って聞かれたらいい。
子どもたちが本当の答えを求める相手は、アニメのキャラクターではなく、幼稚園や学校の先生でもなく、いつだって親だよ。
だから、もし、自分の子どもからアンパンマンの義人っぷりについて尋ねられたらどう答えるのか、そこを考えるといいと思うんだな。
(それにしても大事なことはアニメや漫画から学んだと言う日本人は多いよな〜。良くも悪くも、だな。)