チコちゃん好きの小3に「チコちゃんに出てきそうな話」として1ヶ月くらい前に自慢気に「さくら」の語源を披露していたなる子です。
東京もついに開花宣言。「さあて、桜について温めていたこのネタをそろそろ書くか。チコちゃん見ながら書こうっと」と、録画の再生始めてサブタイトルで嫌な予感。
ぎゃ〜!カブってしまった!
しかもめっちゃわかりやすかった。すごいよチコちゃん、まだ5歳なのに…。
とりあえず小3の子に自慢しようっと。「チコちゃんでもやってたね!」って。
チコちゃんに叱られる
「どうして桜の下で宴会するの?」がチコちゃんの質問。
答えは、「田んぼの神様がいるから〜」
専門家によると、農耕が始まった頃、人々は田植えの時期を見極めるのに桜の開花を目安にしていたそうです。
桜には山から降りてきた田んぼの神様がいらっしゃる。降りてきた印が桜の花なのです。
お正月は歳神様を迎えて、鏡餅に神様が宿るのですよね。ちょっと似てますね。
「さくら」の語源は、 さ=神様 くら=座
やまとことばって美しいですね〜。
胡座(あぐら)とかにも「くら」が使われています。
(奈良県明日香村で撮影)
ちなみに奈良県には「佐保山(さほやま)」という山が平城京の東(五行における春の方角)にあり、佐保姫(さほひめ)という春の女神が宿っていると言われています。
この佐保山、桜の名所として知られているのです。
「さ」という一文字に込める日本人の心が見えるようです。
友人に文献を紹介してもらったので、引用します。
春になると、山の神が里に降りてきて、田の神となって稲穂に宿る。山の生命力がフユに増え、ハルに張り切って里の方へとあふれだし、やがて稲となって結実する。
その生命力が山から降りてくる兆し、眼にみえない力のあらわれが、ほかならぬ山桜の開花だった。「サ」は穀神=田の神を意味し、「クラ」はその座、つまりちょうど山桜が色づくあたり、山と里の中間領域での、しばしの休息(トランジット)の場所ということらしい。
ちなみにこの眼にみえぬ霊力がひたひたと降り来たるプロセスを「サオリ」、実りののちに再び山へ昇ってゆくのを「サノボリ」と呼んだ。サオトメ/サツキなどの言葉も、この「サ」の同行をめぐる日本人の霊妙な感覚のあらわれといえる。
宇宙樹 竹村真一 慶応義塾大学出版会
なぜ桜を見ると嬉しい気持ちになるのか。なぜ桜には特別感があるのか。
大和人のDNAに刻まれているような気がします。