「同じマンションの住人がエレベーターで会っても挨拶もしない!」と、先日お会いした女性がぷりぷりしておりました。「子連れでも挨拶しないんだよ!そこそこいいマンションだから、会社とかでは立場もあったり、コミュ力高くて仕事ができるのかもしれないけれど、挨拶ができない!子どもがそれを見てるんだよ。あいさつしない子にそだっちゃうよね!」
ご立腹でございます。
その女性は「こんにちは。」と、「ありがとう。」は一番大事、としつけられて育ったそうです。若いけれど会社経営者、バリバリです。
日本の大人はすれちがっても目を合わせない。ましてやニコッと笑いかけるなんて変質者扱い。
どうしてなんだろう。
海外の影響を受けて作ったカフェの大きなシェアテーブルも、「面識のない人とコミュニケーションが生まれる」という目的で作ったはずなのに、日本では会話はうまれないその効果は全くないように見えます。
「教育?」
教育がそうさせてしまったのでしょうか。
よく言われるのが、「知らない人と話しちゃダメ!」と学校や家庭で子どもたちが言われてるから、という説。
なくならない凶悪な子供を巻き込んだ事件。大事件が起きるたびに、子どもを持つ親はもちろん、学校などの子どもと関わる仕事に就く人達もピリッとします。
「こわいね」「気をつけなさい」と言われると、子どもたちにとってはすべての人が怖く見えて、世の中不審者だらけです。
私自身の経験で「不審者、不審者!裸の人がいる!」と子どもたちに言われて、見に行ってみると、おじいさんが上半身裸で庭仕事をしていただけだった、ということがありました。
「勘弁してよ〜。」と思いつつ、「変だな、と思って教えてくれてありがとう。おじいさんは暑くて着てなかっただけだよ。昔の人は、上半身裸でもへっちゃらな人が多いんだよ。安心してね。大騒ぎすると、本当は大丈夫な時も色んな人を怖がらせちゃうから、落ち着いてね。」とその時は伝えました。
アメリカ人は店員とかでもフレンドリーに「ハロー、フレンド!」みたいな感じで、お客さんと挨拶をする。それはどうしてなのか、尋ねてみたことがあります。
理由の一つとして「私は怪しい人間ではないですよ。あなたは?」という意思表示があるのだ、という説明を受けました。挨拶で挙動不審になる人は「不審者ではないか」と疑われるのです。
それだけが理由ではないでしょうけど、そういう一面があるということには納得です。目が合えばにっこり。バス待ちで隣になれば、「なかなか来ないねえ」なんて世間話をする。にっこりしてくれない人は怖いし、知らない人と黙ったまま同じ空間にいるのも怖すぎる。そんな感覚でしょうか。
この感覚を「コミュニケーションの防犯」と、ここでは呼ぼうと思います。
不審者の姿とは
不審者のイメージをどのように持っていますか?不審者のステレオタイプとして私たちが思い浮かべるのはサングラスにマスク、帽子に黒っぽい服。40代ぐらいの男性。
でも、本当にそんな格好をした人が不審者でしょうか?
見た目だけではわからないことは多々あります。
若くて爽やかなお兄さん、もしくは綺麗なお姉さん、ということだってあるかもしれません。
ちなみに私自身の経験ですが、小学校5年の遠足で電車に乗っていた時に、「韓国人で日本語を勉強している」という若くて綺麗な女性に話しかけられて、楽しくおしゃべりをして、「友達になりたい」と電話番号を渡されたことがあります。
もちろん家に帰って「電話しちゃダメ」と親に言われましたが、当時は外国人で美人のお友達ができたかもしれないのに…と残念な気持ちになりました。
拉致事件の報道などがあって以降は、何かの事件に巻き込まれていてもおかしくなかった…と、ちょっぴり冷んやりした記憶になっています。
文字で読むと「怪しすぎるだろ!」と思うでしょう?人間って不思議なもので、美人や男前は犯罪を犯さないような気がしてしまうのです。怖い怖い。
もちろん怪しい人ではなかったかもしれませんが、電車の中で出会った小学生と友達になりたいだなんて、やっぱり変ですよね〜。
コミュニケーションの防犯
あいさつは守ってくれる人を増やす、という点でとても大事な防犯だと思っています。同じマンションの住人を喋ったことも挨拶もしたことがない、よくわからない人にするのではなく、守ってくれる地域の仲間にしていくのです。
田舎の方に行くとよそ者はすぐ分かる、と言いますが、小さくともコミュニティの中でコミュニケーションの防犯が生きているからこそ、できることなのです。
都会は人も多いし、「会ったことあるような、ないような。」思い出せないほど情報量も多いですよね。しかし、その場のコミュニケーションで「おかしいな。」とピンとくる瞬間を逃さない、コミュニケーションの防犯は日本人でも必ずできるはずです。
こんな例を作ってみました。
そう、ここがピンとくる境目です。
見た目は爽やかな青年で悪い人には見えません。
でも、知らない人だし、丁寧に説明したのに「わからない」って変。「池」って、賑やかな場所からはかけ離れている。ちょっと変だな。
行動の選択を間違えると、犯罪に巻き込まれてしまうかもしれません。
言葉で道案内するところまでで十分です。それ以上のことはしなくてもいいし、「おかしいな」の危険信号出ています。
断る勇気。Noと言うのは簡単なことではないかもしれません。でも、いざという時に、「できません、行けません、もらえません」と断る。相手が悲しそうな様子を見せても、困った様子をみせたり、しつこくお願いされても、ダメと思った時に自分を信じて言えるように練習しておくことはいいと思います。
「できない」って断っていいんだ!
正義感のある良い子ほど迷うと思うし、「断っていい」を知っておくことは、変な護身術(戦う系)を学ぶより、よっぽど役に立つはずです。
見てるよ、の防犯
大人同士も積極的に「こんにちは。」と声をかけることで、もし何か良からぬことを企んでいる人を思いとどまらせる効果が期待できます。
「は!見られている。自分がこの時間、この場所にいることを認識された!」と思うと、「やっぱりやめておこう。」と気持ちが切り替わることがあるからです。
暗い道を一人で歩かなきゃいけない時、子どもはもちろん大人でも使えるのが、「振り向く」ことです。曲がり角、人気のない道、振り向くだけで防犯になります。
誰かいるかいないか確認することができるし、いた時に後ろにいる人は「はっ」となります。もし後ろからつけていたとしたら効果あります。近づくのを事前に牽制することができるからです。自分に届かない距離を保つことも防犯。
おかしいと思ったら急いで明るい道、安全な場所に移動しましょう。
そこで助けを求めれば良いのです。
私は女性下着を着た男性に夜中話しかけられ、近くのコンビニに駆け込み警察に連絡してもらったことがあります。コンビニの店員さん、頼もしかった。ありがとう。
コミュニケーションの防犯で、温かくて安全な地域づくりができるといいな、と思っています。